【教材動画】空海の十住心
昨年、大学の授業がすべてリモートになり、大急ぎで作成した教材動画です。インド・中国から伝わったさまざまな教えを十の心のあり方に対応するものとして体系化した、弘法大師空海の十住心について、『秘蔵宝鑰』を中心に紹介しています。
何のスキルもないうえに、毎週の授業に間に合うよう短時間で作成したものなので、出来栄えについては、大目に見ていただけたら、と思います。
基本的に、拙著『空海に学ぶ仏教入門』ちくま新書の内容を、より平易に紹介したものです。
『空海に学ぶ仏教入門』については、存じ上げている真言宗のお坊さまが周囲のお坊さま方に声をかけてくださって、刊行直後に弘法大師ゆかりの大阪・太融寺でお話しさせていただいたのを皮切りに、弘法大師生誕の地とされる総本山善通寺、東京にある総本山智積院別院真福寺、江戸時代から仏教書を刊行しつづけている京都の法蔵館書店など、さまざまなところで講演をさせていただきました。
数年前、久しぶりに『秘蔵宝鑰』を読み直す機会があり、今、この教えを世に広く紹介する必要がある、と強く感じ、所属する研究所が当時参加していた日本最大のインド関連イベント、東京・代々木公園でおこなわれるナマステインディアのセミナーハウスでお話しし、当時おこなっていた勉強会で『秘蔵宝鑰』現代語訳の読書会をおこない、毎週のように東京にある真言宗のお寺の裏山の八十八ヶ所めぐりを参拝して、弘法大師に祈願して書きあげたものです。
拙い動画ですが、今は以前のように各地を講演で回るのは状況的にむつかしいので、少しでも仏教や弘法大師に関心のある方の参考になればと思い、紹介します。
第1回 空海の生涯と教えについて
十住心を中心に、空海の教えについて紹介する第1回目。今回は、空海の生涯と教えについて、簡略に紹介します。
第2回 空海の仏教理解と十住心の概観
十住心ひとつひとつの説明に先立って、弘法大師空海の仏教理解と、それに基づく十住心それぞれの位置づけについて紹介します。
大別すると、顕教と密教、
私たちの物の見方に合わせた段階(十住心の第一~第三住心)、
私たちの物の見方からの解放を目指す段階(第四~第七住心)、
「空(くう)」を体験した人に現れる世界(第八・第九住心)、
言葉を越えた境地を言葉を介さず体験する段階(第十住心)、
という分類が、弘法大師空海の仏教理解とどう関連しているかを紹介します。
第3回 第一住心~第三住心
今回は、第一住心から第三住心までを、弘法大師空海の説明に基づいて解説していきます。
これらは私たちの物の見方に合わせた段階で、仏教固有ではありません。
天の神々の世界に生れることができたとしても、その安らぎは永遠ではなく、終わりがくるものです。そのことに気づいた時、その人の心に輪廻の繰り返しから抜け出したいという動機が生じます。
第四住心以降が、仏教固有の段階になります。
第4回 第四住心~第七住心
今回は、第四住心~第七住心までを、弘法大師空海の説明、位置づけに基づいて解説していきます。
これらの教えは、伝統的には三乗の教えと呼ばれています(声聞乗・独覚乗・菩薩乗)。私たちの物の見方からの解放を目指す教えに三種類あるのは、私たちは今の物の見方から解放された状態がどのようであるものかを知らず、かつ、自分が納得しなければ物の見方を変える実践(=修行)をやらないためです。
第四住心では、五蘊(色・受・想・行・識)は実体だがそれによって構成された「私」は実体ではないと考えて、煩悩をすべって断ち切った阿羅漢の境地を目指します(声聞乗)。
第五住心では、私たちの苦しみの真の原因である「無明」(物事を正しく捉えることができないこと)を滅して、さとりは開くが教えは説かない独覚仏を目指します(独覚乗)。
第六・第七住心では、釈尊はインド・ブッダガヤでさとりを開いた後、何十年も教えを説いた。それは自分の苦しみをなくすためには必要のないプロセスであり、釈尊は一切衆生を苦しみから解放するために、仏陀となって教えを説いた。そのように考えて、自分も一切衆生を苦しみから解放するために仏陀の境地を目指します(菩薩乗)。
そのうち第六では、唯識の教えが説かれ、私たちが対象を間違って実体として捉えるメカニズムと、どのようにして瞑想によって実体視から解放されるかが、理論的に説かれています。
第七では、中観の教えが説かれ、真に実体視から解放された時は、私が苦しみからの解放を目指すという図式からも解放され、真の苦しみからの解放の境地は「色即是空、空即即色」、「煩悩即菩提」であることが説かれます。(これは苦しみからの解放の境地がどのようなものであるかを説いているのであって、今の状態を「菩提」(さとり)と思い込むことではありません)。実際には、仏陀になるわけではなく、最初から仏陀であり、それを覆っている汚れを取り除くのが、仏教の実践だと説明されます。
そうやって、三種類の説明で自分が納得したゴールを目指すのが三乗の教えで、実際に「空」を体験すると、そのような図式からも解放されます。それが第八・第九住心で説かれている一乗の教えで、「空」を体験した人に現れる世界が描かれています。三乗の教えと一乗の教えの関係について説いたのが『法華経』の三乗火宅のたとえで、空海はそのたとえを踏まえて、それぞれの教えを位置づけています。
第5回 第八住心・第九住心
十住心の第八と第九、『法華経』と『華厳経』の心です。それら一乗の教えについて、空海は、報身の仏陀が初地~十地の菩薩を対象とした教えとしています。
初地~十地の菩薩は、すでに瞑想中に「空(くう)」を体験した存在です。
『華厳経』ではさとりの瞑想中の仏陀のまわりに、それを知った菩薩たちが集まってきて、その一人が仏陀のさとりの心を理解して、説明しています。
『法華経』も、実際に教えを説いているのは化身の仏である釈尊で、空海は化身の仏陀である釈尊が、報身の仏陀である「久遠実成の仏」(釈尊と別存在ではない)とその教えについて説いている経典として位置づけています。
聖者の菩薩は、瞑想中に「空」を体験していますが、瞑想中・瞑想後を行き来しながら修行しており、そのふたつにまったく差のない、「色即是空、空即是色」(『般若心経』)仏陀の境地には至っていません。そのため、直接には口を開かない報身の仏陀のさとりについて、化身の仏陀や菩薩が説く、という媒介を必要とした形になっているのでしょう。
「色即是空、空即是色」の境地が直接示されるのは、第十の密教においてです。
第6回 第十住心
今回は、伝統的仏教理解の全体像をあらわす空海の十住心のうち、最後の第十住心、密教の教えを紹介します。
これまで空海の十住心を説いた二つの著作のうち、短い『秘蔵宝鑰』の教えに基づいて十住心を紹介してきましたが、第十住心の説明は、『秘密曼荼羅十住心論』と『秘蔵宝鑰』で大きく異なり、後者では龍猛(ナーガールジュナ)『菩提心論』の長文の引用で密教の修行法が紹介され、『金剛頂経』の引用で、灌頂を受けていない者に説いてはならないことが記されています。
そこで、ここでは灌頂がどのようなものであるか、その伝統的な仏教における役割と、曼荼羅との関係を紹介したうえで、『秘密曼荼羅十住心論』の方で紹介されている法身説法(空海の密教理解の特徴とされているもの)について紹介しようと思います。
『秘密曼荼羅十住心論』と『秘蔵宝鑰』の他の違いとして、前者が九顕十密(第一~第九までが顕教の教えで、第一~第十のすべてが密教の教え)、後者が九顕一密(第一から第九までが顕教の教えで、第十が密教の教え)であるとされていますが、その意味するところについても紹介します。
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