この場所がいつか なくなればいい
5月から娘が中学校に行き渋るようになり、娘の泣き顔を頻繁に見る日々が続きました。
何に引っ掛かっているのか、何がハードルになっているのか…
娘と話をした時間、先生方と話をした時間。
ほぼ毎朝学校に電話を掛けて
「今日はお休みをします」
とか、
「学校の近くまでは来ているのですが、涙が出てしまっていて。本人が希望しているので、登校時間をずらして保健室に行くようにしてもいいでしょうか。」
とか。
先生からの提案で、夕方、生徒が下校してから登校して先生と話をさせてもらったりとか。
朝7時には登校の準備はできているのに…
そこから学校に入るまでの足どりがとても重くなる娘を前にした時。
わたしは一から考えないといけなかった。
特効薬なんて何も持っていなかった。
今までも"不登校"について、アンテナはそれなりに向けていたと思います。
幼い頃から
"この子は感受性が高いね"
と言われ続けてきた娘に 薄々、近い氣配を感じて。
"きっと、他人事ではないな"
いつからか自然にそう思っていました。
中学生になった娘は、小学生の時とあまり変わりなく、チャレンジしたい氣持ちを持っていました。
"学年生徒会に参加することになったよ"
と言い、表情は明るかったように見えました。
それから1ヶ月の間、日に日に口数が減っていく娘を認識はしながらも、小学校との雰囲気の違いや課題の多さなどに対応しようとしている時期なのかな…と深くは考えないようにして。
部活が楽しかったという話や、仲のいい友だちの話を聞いてはホッとして。。
わたしの中の不安を消そうとしていました。
ぱちん と弾けるようにその日が来て、
「学校には行きたくない」
と、娘が涙をぼろぼろとこぼした朝。
その日から、先生たちとの話し合いが始まりました。
話が深まるにつれて、今まで、娘の良いところだと認識していた部分が全部カードをひっくり返すように弱点に変わっていくようで…
だんだんとわたしがたまらない氣持ちになっていくまでに、1ヶ月もかからなかったです。
そんな状況の途中、4月末に行われた実力診断テストの結果が6月に返ってきました。
それが4教科ともほぼ満点だったことで、
「自信がないんですかね。自己肯定感が下がっているってことかなと思いますね…」
と、それまで言われていた先生たちが
"うーん。。" と首を捻られました。
何が引っかかって学校に来られなくなっているのか、学校の玄関まで来ているのに、どうしてあんなにもツラそうに涙を流して足が止まるのか。
先生たちは親身になって一緒に考えてくれました。
背中をポンと押すのがいいのか、抱きしめて、もう頑張らなくていいよと伝えるのが良いのか…
その時に湧き上がる感情のままに、どちらもしましたが、その後に大きな変化は見えませんでした。
「ナツキさんが"特に必要ないと思います"と自分で言われているなら、まずはお母さんだけでも。」
と担任の先生から、スクールカウンセラーの方との面談を勧められ、話し合いをした時が一つの転機だったと思います。
結果的に、カウンセラーさんの言葉がきっかけでわたしはフリースクールに連絡を取り、見学に行きました。
カウンセラーさんとわたしの相性のズレだったのか、全く噛み合う感じがしなかったのはきっとわたしだけじゃなくて、お互いにだったんだろうな。
「フリースクールも考えているんです。」
と言ったわたしの言葉に、カウンセラーさんは、
「お母さん、まだフリースクールとかの段階ではないですよ。」
と言われていたけれど。
"フリースクールの段階" ってなんだろう。
同年代の集まりの中で、"助け合い"や"分かち合い"をとても大切に思ってこれまで過ごしてきた娘が、中学生になり学年学級の雰囲気として今までと違うものを感じている。
前に進めなくなっているのは、うまく言葉にできない重い痛みだと思う。
今の娘の状態を、娘に全部負わせようとされているように感じて、思わず話を遮ってしまった。
"やさしすぎる、がんばりすぎる、がまんしすぎる、まじめすぎる、ひはんされることにめんえきがない、、"
わざわざ、そんな言葉を浴びないといけないんだろうか。
じゃあ。娘のいままでやってきた事ってなんだろう。
私たち家族をはじめ、たくさんの人と助け合って励まし合って、支え合ってきた。
喜びをもらい、与えてきた事は事実なのに。
もちろん、家庭で努力しないといけないことやできることは、親であるわたしや夫が向き合って解決したいと思う。
原因のひとつは、わたしのやってきた結果でもあると思っているから。
でも、学校とのやり取りだけでは進めないと感じた。
娘への、もしかしたらそれ以上に、わたしへの、
支えが必要だと感じました。
昨日、娘は4回目のフリースクールへ行ってきました。
初めて会う中2の女の子と一緒に料理をして、2人とも楽しそうにしていて。
穏やかににこにことしている娘を見ながら、こころがじんわり温かくなって。
娘の魅力が自然とふんわりと出ているように感じられて嬉しかった。
「お母さんが用事とか仕事で来れない時は、私、自転車で来ようかな。」
出来上がった簡単ピザをみんなで食べながら、娘がぽろんっと言ったことにびっくりして。
車で15分の距離だし、坂道が激しいし、何よりもこの暑さだから、とっさに
「え?え?!それかなり厳しいと思うわ〜。」
と返してしまったけれど…
この場所にも、2人のスタッフの方々にも、
そして3番目のスタッフと表しても過言ではない"癒しの権化"のような飼い猫くんにも。
愛着や信頼が芽生えているのかな。
もちろんわたしも、そのお2人&猫くんには賛同と信頼&感謝ばかりです。
この4月からオープンしたこの場所、ここに設立してくれてありがとう。。
そして、今日娘は学校に行きました。
それは彼女自身が昨日決めていた事でした。
フリースクールでは今日イベントがあります。
海外に在住の方とオンラインで対話をすることになっているのですが、(内容もおもしろそうだった…)娘は昨日、その話を聞いて興味が湧きながらも、
「でも、明日は学校行こうと思う」
と言っていました。
「夏休みまでのあと1週間はがんばって学校行きたいな。」
娘の言葉を聞きながら、"そんなにがんばらなくても行けるようになるのが最高なんだろうな。。"なんて思ってしまうけれど。
中学校生活は結構、喜怒哀楽さまざまあったな〜って思い出をもっているわたしに言えたことでもないから。
黙っておこう。
フリースクールを運営されている2人のスタッフさんに初めて会った帰り道。
娘がこぼした言葉を忘れたくないなと思って、ぽちぽちと残します。
「お母さん。あの人たちってね、聞いたわけじゃないけどきっと、
"この場所がいつか なくなったらいい。"
って思ってるような人たちなんじゃないかなと思った。
ほら、パラリンピックの。"太陽の家"を創った中村裕さんの考え方があるけど、たぶん似たような考え方を持ってあの場所を始められたんじゃないかな。」
娘も息子も、オリンピックもパラリンピックも毎回楽しみにテレビ観戦をします。
数年前にパラリンピックの特集で中村裕さんをテーマにした番組があり、その番組を録画して子どもたちが繰り返し見ている様子を何度か目にしていました。
中村裕医師は、障がい者雇用とパラスポーツを通して、当事者の方たちの
"生きる喜び"
をどこまでも考えようとされていた方だったように思います。
いつか、ここが特別な場所じゃなくなればいい。
社会全体で健常者も障がい者も、就労の喜びを共に味わえる世の中になってほしい。
そんな風に願われていたと、私は覚えています。
"本当に大切なことってなんだろう。"
娘は不器用なところもあるけれど、でも、愚直にそれを考えようとする、そんな力は持っていると思います。
そして、それは彼女の魅力だと、彼女がその姿勢を貫くかぎり、わたしはずっと思い続けたい。
ありがたいことに、彼女の周りには協力者がいてくれて、要所要所でフォローが入ります。
まずは感謝。
その上でだけど…
あなたが今まであなたであり続けてきた事の結果だよ。
すごい事だよ。
とも、思っています。
昨日は、前に音声で投稿していた娘の同級生の男の子が、初めてそのフリースクールに来ました。
娘とその男の子は、半年以上、相当ひさしぶりに顔を合わせましたが、にこっと笑って手を振りあえました。
少しの時間だったけど、娘は嬉しかったみたいで、男の子も"結構大丈夫だった"とニッと笑って後でお母さんに言ってくれていた様子。
みんなが、それぞれのペースで。
自分をたいせつにしていけるといいな。
みんなでやさしくあれたらいいな。
今日はいいお天氣です✨
家族の布団をふっかふかにしようと思います!
明日からわたしも新しい仕事が始まるのでそちらもいい塩梅に頑張りたいものです!(絶対、最初は必死です🤣)
*sinkeylowさんのイラストをお借りしました。
ありがとうございます✨
紫陽花かなって思ったのですが、実際はどうなんだろう。
わが家の庭の紫陽花は青と紫で、先日花が終わってしまいました。
雨の日の紫陽花はどんな氣持ちの時に見ても、とてもきれいでした。
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