いま ここ のメンバーでグルグルと。
数日前、息子の10歳の誕生日でした。
サッカーの試合日だったので、
「おっしゃー!!お母さん、今日はバースデーゴール決めてくるから!」
と大きな事を言いながら(息子、ポジションMFかDF😂)お弁当持って氣合いが入った様子で出かけていきました。
市のリーグ戦、息子たちのチームはまだ負けがついていない中で、その日は勝つのが難しそうな相手チームでした。
試合を観たい氣持ちがありつつも、誕生日会の準備&娘の用事もあるので家に帰り、いつもの2倍くらいの速さでバタバタと準備に取り掛かりました。("当日のスタート"がすでに遅いのは…流します😂)
息子のお誕生日会をどうしようかな と、少し前からふわふわと考えていました。
わたしの粘着質な執着(言葉だけで恐いな🙄💦)で、義実家に向けて氣持ちの距離ができていたもので…例年なら声をかけ、わが家に来てもらってみんなで過ごしていた誕生日会を今回どのようにしようか。(車で5分の距離です)
正直なかなか割り切れずに2週間前まで迷っていました。
わたしは、夫の思考が基本的にとても好きです。
そのせいもあってか普段の生活で意見の行き違いになる事が少ないのですが(…いや。それ以前に夫の優しさ、、結局はそれに尽きるかもしれません。)、お義母さんの事が絡むと、結構な開きができます。
そして、スーッと平行線のままになる事が多いです。
夫はお義母さんの望みを、自分の可能な限りは叶えてあげたいと思っています。
それはお義母さんがどうであっても、です。
お義母さんが優しい氣持ちから一生懸命に何かに向かっている時も、逆に、周りにどんな傷をつけても氣がつかない程に自身の感情の嵐に呑まれながら突き進んでいる時でも。
いつも淡々と。
お義母さんが求めている根の部分を察して汲みとり、ただ淡々と助けます。
お義母さんが、助けてもらったと明らかに氣づく時も、全く分からない時もあります。
でも、夫は何も氣にしません。
息をするのと同じように、思考ではなく、反射のようになんのこだわりも無く、労力を惜しみません。
不機嫌な時に近づく事で逆に文句を言われたりあからさまに八つ当たりを受けても、夫の機嫌は常に凪…愚痴も何もでてきません。
「母さんはそういう人だから。」
それで始まり、それで終わります。
一方で、わたしはそこの境地にはまだまだ遠いです。
すっきりはせずにモヤモヤを持ったままでしたが、この"息子の誕生日"のタイミングでどう行動するのか、は小さくない事だろうなと感じていました。
何か明確な理由を伝えるわけでもなく義両親に連絡をしないまま、わが家4人だけの誕生日会にするなら、そのあとの状況に対して覚悟が出来ていないといけないなと思いました。
だって、それをすると"つらい"と感じる相手だとわたしは分かっているのだから。
傷つける覚悟と、その後にブーメランのようにこちらに帰ってくるだろう痛みを受ける覚悟です。
去年までは、その選択肢もハッキリ頭には浮かびませんでした。
わたしには一択しかないと思っていました。
"息子のお誕生日くらい、「おめでとう、嬉しいよ」って単純に喜びたいよ。なんでいつも事前にお義母さんの機嫌を伺って、当日まで氣分良くいてくれるように配慮しないといけないのか。"
氣持ちが頭の中で言葉になったのは今年が初めてでした。
それまでの数年は、
"当日、息子が嬉しい氣持ちで過ごせたらそれでいい!目標はそこだから、それに向けてわたしが出来ることはやろう!!"
それで何とかなっていました。
自分の氣持ちがどうなっているかはそこまで問題にしていなかった…はずでした。
…が、この夏に、お腹の中の感情をひっくり返して吐き出した事で、わたしはわたしの事をすごく大事にしたいと思っている事が露わになりました。
全然聞き分けよくなくて、我儘で、不満も持ちやすい。
あと…ねちっこい😂💦
本性を隠そうとしたって、歪さは透けているよなぁと思ったし、そもそも今までもきっと隠せてなかった…。
これからは嬉しいは嬉しい、嫌なことや無理なことは偽らずにそのまま無理ですと伝えよう。そう自分の中で決めました。
そして夫から、義両親と、義兄、義兄の息子くん(社会人です)にお誕生日会の案内を連絡してもらいました。
例年なら、わたしからお義母さんやお義父さんに連絡していましたが、夫にお願いしました。
みんな了承してくれて、当日の夕方から始まった誕生日会。
義両親には内緒で、1週間後のお義母さんのお誕生日のお祝いも兼ねて、子どもと孫たちから…と、ブーケの花束を用意して、大きなケーキにお義母さんと息子の分、プレートを2枚付けてもらいました。
せわしなく作った料理でしたが、無事にテーブルいっぱいに並び、お義母さんはきれいに形の整ったスコッチエッグと、柚子をくり抜き、その中に流し入れて作ったゼリーを人数分持ってきてくれました。
先日の運動会のビデオを上映している時、息子は興奮気味に紅白リレーでの自分の頑張りや悔しさを存分に喋って、みんなから色んな声をかけてもらっていました。(悔しさの部分を義兄にいじり倒される息子😂笑いに変えてもらえるって大事✨)
食事の後は、景品ありのビンゴに、トランプに、UNO👀✨
少年の心を持った人だらけなので、大人も子どもも本氣です。ワーワー言いながらやります。
相乗効果でより声が大きくなります。普段のわが家のテンションとは桁違いな程に上がります⤴️
お腹がいっぱい、よく笑って喋って、
"あぁ、もうこんな時間だ。"
と、お開きになりました。
みんなを見送った後、さっさとお風呂に入った息子は、
「今日は楽しくて最高の1日だった。ありがとう。おやすみなさい。」
そう言ってスッキリした顔で寝に行きました。
娘も「おばあちゃんのゼリー、甘さがちょうど良くてすっごく美味しかったー。」と。
いつも思考があちこちに散るわたしは、
"いま ここ"
の感覚でいることがたぶん苦手です。(何度も書いてますね💦)
この日のことだけで、
"大事なことって…" とまとめちゃったとしても、なんだかんだ、また痛いだとか、理不尽だとかモヤモヤし出すのがわたしなんだと思います。
なので、まとめないほうが良さそうです。
ただ、息子のお誕生日の夜、
"いま ここ"
が満載でした。
そして、サッカーの試合で
「絶対に負けたくない」
と言っていたチームに負けて、コーチからも厳しい言葉が出ていた事で、帰宅してからもガックリしていてもおかしくなかった息子が満足した顔をして眠りについたのは、その "いま ここ" のエネルギーが決め手だったように思えました。
何度もグルグルしてしまうけれど、その間に子どもたちは大きくなるし、親もわたしも歳を重ねます。
状況が変わり、心情も変化をし、グルグルしながら近づいたり遠ざかったりを積み重ねて何かになっていくのでしょうか。
それに形はないのかもしれませんが。
今回わたしの中に残って、ここに記しておきたいなと思ったのは、
"いま ここ" をこのメンバーで紡いで、その時間を子どもたちが大きな喜びとして受け取っていた。
ということです。
わたしだけでは生み出せない、わが家の4人だけではそうならない何かでした。
次の日に、お義母さんにお礼のメールとみんなで撮った写真を送りました。
足が痛いと言っていたので、"冬支度をまた手伝いに行きます"と伝えました。
"ありがとう"
の可愛いスタンプが返ってきました。
ちなみに息子はその日、3試合した中で、2得点ゴールを決めたらしいです。
見られなくて残念だったけど、料理を間に合わせる事ができたってことの方が重要だったので。
結果、わたしgood job!ってことにしておきたいと思います。
*popo1122さんのイラストをお借りしました。ありがとうございます✨