キリンに雷が落ちてどうするを読み丸【読書感想文】
読んだ。
サムネはシマウマ。なるべくかわいいシマウマの写真。
サムネがキリンじゃないことを指摘してどうする。
本当にただの感想だから、我ながら【読書感想文】がしっくりくる。
内容本文にはガッツリ触れずに書けたらいいかな~と思う。
かなり褒めるけど、見る人によってはいやな書き方かも。
しっかり文筆家の一面を見ている人が「品田遊先生」って言うのも納得しちゃう本。よくよく考えると居酒屋のウーロン茶マガジン6か月分くらいの値段ではあるんだけど、たまたま本屋で出会えたのはラッキーだった。読みやすい。特装版みたいな気持ちで読める。
今もウーロン茶マガジンは入ってないけど、衝動的にする買い物じゃないってだけだ。収入が安定した時、そう遠くない未来に1日10円のつもりで購読することはあると思う。
これが自分の本棚にあるの、かなり嬉しいかも。本のサイズも、紐のしおりも紙色も作りもこだわりを感じる、本棚にあると嬉しいタイプの短編集だ。
エッセイ集の第2弾が制作中なのも相当に嬉しい。
まず、感想を記録として残すのはちょっと迷った。
そんなの勝手にすればいいんだけど、つい「わかるぜ」と言ってしまいそうになる文だからだ。
たぶんこの人は他人の意見をそっくりそのまま借りて同意し、自分の意見のために流用するのを嫌う。
「わかるぜ」という表面を掬い取っただけの共感が敵であることなんて、あとがきにガッツリ書いてある。
「賛成」の題でもそう書いてある。もちろん内容は有料マガジンで書いてあることでもあるし、深くは触れないけど。
そもそもエッセイ集であって意見文じゃないし。ただ"空想倫理読本"みたいな部分はあった。
323ページある。
大きく前半と後半160ページずつくらいに分けて読んだ。そのせいか、今すぐは考え方や思想みたいな、込み入った話の部分が大きく印象に残っている。
途中で「え?全然普通に死生観が載ってんだけど?」と思った。
僕のマインドは難しい言葉を知りたいだけのギャルなので、ちょっとひるんだ。
前半部分はモノの章・イキモノの章で、着眼点とエピソードトーク感が際立っている。後半はコトの章・コトバの章で、前半部分でも顔を出していたこの人の哲学が真に迫って書いてある。
前半が匿名ラジオみたいなトーンで、後半がニュースオモコロウォッチのトーンって書いたら伝わらないだろうか。でもそこまで追ってる人ってもう読んでるのか。
エッセイ集ってこれくらい自由でいいんだよな、と思わせるようなランダム感がたまらなくキャッチーだ。読んできた数少ない紙の本のなかで、一番集中を要せず読めたかも。
実際この本の感想をnoteで検索してみると、この本をキッカケにnoteで日記始めてみました!って人が沢山いた。
僕も仮に中学生の時この本に出会っていたら、間違いなくネットで日記を書いてただろうな。時系列的にありえないんだけど。
本人的には自然体に近い文章なんだろう。というか喋っている動画くらいは見ているから、知性に沿った自然体なことくらいは知ってるけども。
蛍光マーカーを引きたくなるほどのスムーズな換言や、短編のお手本みたいな着眼点と急展開がある。
知的好奇心によって吸収したものが、ひととなりと性癖でなかなか腑に落ちる言葉に変換されている。
たとえば「苦手」の題における「抹茶はこの引き出しだったのか」みたいな気づきの書き方がソレだ。
大喜利チックかつシステマチックで、「この人が学生時代に打ち込んだあるものとは?」みたいなクイズが出たら間違いなく「インターネット!」と決めうちで答えてしまうような文。
……褒め言葉だけど、インターネットに良いイメージがないせいで褒めてる感じ出ないか。
美味しい毒、インターネットの使い手。ネット情報の香具師。
ポケモンだったらどく・くさタイプ。
横にいるのはフシギバナ・ラフレシア・ウツボット・モロバレル。
どう書いても悪口みたいになっちゃうし、書かない方が良いな。
それくらいインターネットにズブズブだからこそ書ける文だと思う。他を知らないから具体的に言及できないけど、他にあまり類を見ないタイプの作家な気がしている。
メタ認知の極致というか、「世界を一番外側で見ていたかったけど、それが叶わない人の思考」「全知全能になりたかったがどうやら叶わず、趣味で全知全能に近い存在になれるアイテムを使い倒している人」みたいな雰囲気があった。
……文章に起こすとけちょんけちょんな感じするけど、本当にそういう文なんだって!!!めっちゃ褒め言葉!!!
モノの章の「やろうとしてみたんですけど、こうでした」みたいな好奇心から発生した、体験レポみたいなエピソードも面白い。
親も同じような文が好きだから、「跳び箱」だけ読んでみて!と本を貸したり、「星野源」についてこう書いてあるわって話したりした。
誰かに言いふらしたくなる友人のような、キャッチーかつ博識かつ愛嬌ある人間性。文章からここまで伝わるのか。
単行本のエッセイを読んだことがなかったけど、読みやすい。この人の俯瞰癖から来る書き方は、アニメキャラの番外編を見ているような気持ちになる。どこかスピンオフ作品みたいで、それでいて主人公視点。
「風呂に湯を沸かすには、風呂に栓をしなければならない(ことを忘れていた)」は自分の兄が全く同じことをしているのを見たことがあったし、「弱音」や「友情」や「欠点」や「対立」の題は頷きながら読んだ。
本当に一方的に、勝手にシンパシーを感じた気になってしまう。
親近感を感じずにはいられない。「共振」ってこれだろうか。
インターネットが好きな理由(弱音)、ニャースが好きな理由(友情)、ある程度オープンに書く理由(欠点)、Twitterの論争に乗れない理由(対立)、自分と似たようなものだった。
代弁とまでは行かなくとも、「これを書いてくれた人がいた」って事実に救われる。本って元々そういう側面もあるか。
「他人」や「登場人物」の題はそういう人もいるのか、みたいな感想を抱いたし、何から何までシンパシーってわけじゃあ勿論ないけども。
そういう人もいる。
あと散歩と会話の類似性を指摘して、つまらないが故の楽しさを取り出したのもザ・言語化って感じで好きだった。「散歩」の題。
「性表現」の題や「何者」の題や「夢中」の題など、「取り出し、指摘する」というのがとにかく鋭く上手い。この場合の上手いは、腑に落ちる、という意味で。
なんで日記だけが継続できているんだろう、みたいな疑問を日々得た情報に紐づけて、根拠から引っ張り出してくるのも流石だ(「キャラクター」の題)。
これがTwitterでは書けないってのもよくわかる。
あまりに鋭く、かつそれなりに冷笑を感じるが故に、想定したくない火種にならざるをえないんだろう。
炎上って基本的に無料の部分からしか発生しない。「お前」に向けて言ってないことを、有料であることで示す必要があるんだろうなあ。
ペイウォールっていうやつですか?
僕も「文章がコンテンツ作る時に一番楽だから」って理由で文を書く人に、「それは自分がたまたま文を継続して書けるからだろ」と思う(本とは関係ない粉奈丸の主張)。が、基本口を噤んでいる。
この人は一瞬意識から幽体離脱でもしたみたいに、思考をファッ……と手放して見ていて、惰性で読んでいると不意に気づかされる時がある。
例えるなら、同じ方向に歩いてたのに急にバックステップして残像を見せて、その残像を指さし「でもこの考え方って~」って言ってるみたいな。「社会」の題なんてわかりやすい気がする。
ニヒルと称されることもあるんだろうけど、読んだ印象は「にへら~」だった。ニヒルというには楽観的で愛を感じる。
「婚姻」の題なんて、人への愛を感じるシンプルなほっこりエッセイだ。
大事なことをすぐ忘れる特性も、哲学的でいるのに楽観的な独自の感性に繋がっているんだろう。
この人がネット上の支持を集めているのもよくわかる文章だった。この本(というかウロマガ)を読んで安らぎを感じる人は、きっと何千万とインターネットに集まっている。
人間として愛嬌を感じざるをえない、ぎこちない薄ら笑みが大きく浮かんでくる文章。冷笑・嘲笑なんだけど、楽しく冷笑しているような。
「全部冗談ですよ~」の甘えとも思われる諦観に近いスタイルは、どこか防衛反応的・生存戦略的でもある。
ここらへんはYoutubeで顔と声を知ってるから、ってのも理由かな。
インターネットのオーラを纏っている。ネットの風格。インターネット色の覇気。でも「インターネット」ってポジティブな言葉ですからね。「人間」くらい感じ方にブレがあるだけで。
良くも悪くも、幼少期から蓄積したネットによる知識が表現に換わっている。そういうのが誰よりも早く・わかりやすく発現したのって、匿名ラジオの二人だって心の底から思っている。本当にポジティブな意味で。
「インターネットの子」はどうやったって令和以降も増えていくから、この支持が20年後にもっと大きくなることだってあり得るんじゃないかな。
40年後、糸井重里の位置に品田遊が居たとして、あんまり驚かないかもしれない。
一番好きな題は「茶番」です。本当に。
こなまるでした。