いかにナンバー2というポジションに行きついたか(自己紹介③)
会社が急成長し、実質ナンバー2に
最初の1年は、基本的には不動産の売買仲介の仕事がメインだったが、あれこれ試行錯誤しながら、何とか会社が潰れない程度にはやっていた。
今思うと、行き当たりばったりの仕事ばかりで、よく会社が潰れなかったなと不思議に思う。
あれこれやっているうちにマンションの買取事業(中古マンションを買ってリフォームしてきれいにして再販売する事業)というビジネスモデルに出会うことになる。
当時は大手不動産会社と競合ばかりして、弱小不動産会社は「仲介手数料半額でやります!」と言っても負ける始末。
ただ、マンション買取の会社は千葉にはほとんどいない状況で、これなら競合せずビジネスが拡大できるかもしれないということで、
一度取引したマンション買取業者のやり方をパクり、1件目のマンションを買い取ることとなった。
はじめて1千万円以上の資金を投入して、仕入れた1件目の物件。
毎日、「早く売れ!」と社長に言われながら、販売活動に勤しんだ。
結果、これがうまくいった。
当初の予想が当たり、千葉では競合がなかったこのビジネスが徐々にうまくいくようになり、ここから会社が大きくなっていく。
マンションの買取が軌道に乗り始めたのとほぼ同時に、賃貸仲介店もオープンすることになり、社員も一気に増えた。
事務所も最初は3人がぎりぎり収まるワンルームから、倍の大きさの事務所に移り、そこもすぐに狭くなり2年もいないうちに、きれいなビルのオフィスに移転することとなった。
社員が急に増えたことにより、自分は後輩ができる前に、いきなり部下が付くようになり、それと同時に実質的なナンバー2のポジションを担うことになる。
プレイヤーからマネージャーへ
ここから、プレイヤーとしてというよりも、管理職、マネージャーとしての意識が強くなっていく。
ナンバー2として、また管理職としての話は、また、別の機会で詳しくすることにして、このあと会社はグングンと成長することとなる。
創業6~7年で年商も5億、10億と倍増に近いペースで成長し、社員も一番多い時には35人にもなり、支店も3店舗まで拡大し、千葉の不動産業界ではちょっと目立った存在になりつつあった。
この頃、仕事は大変だったが、会社の成長を実感でき、とても楽しかった。
年も30代前半で良く働き、たくさん遊んだ。
一番調子に乗っていた時期かもしれない。
ただ、急成長したつけもあり、社員の成長が追い付かず、会社の成長に反比例するように仕事のレベルが下がっていった時期でもあり、この頃から、社員教育や社員採用について真剣に取り組むようになった。
マンションの買取再販も創業10年を超えると、千葉ではトップクラスのシェアになり成長は続けていたが、競合が増え、仕入れが難しくなっていき、価格競争にも巻き込まれていった。
採算の悪かった賃貸仲介店は徐々に縮小していくなど、最初の勢いは落ち着き、売上も15億円ぐらいで横ばいになっていった。
ただ、まだまだ成長の余地はあったし、改善するべき点も明らかだったので、まだまだ拡大していくぞ!と思っていた時のことだった。
ナンバー2の終わり
年末のある日、
「この日一緒に出掛けるから空けておいて」
と社長に言われ、用件やどこに行くのかも聞かされず当日を迎えた。
社長の運転する車に乗り、
「どこに行くんですか?」
と聞くと。
「会社売ることにして、お前が次の社長になることになってるから、そのオーナー会社に今から行って、挨拶してくれ。」
「えっ?会社を売る?しかもこれから!」
想像すらしない展開で、自分が会社に誘われた時と同じように、社長が言っている意味が理解できず、社長を質問攻めしたが、結局意味が分からずパニック状態のまま、親会社となる会社に到着してしまった。
親会社の社長をはじめ、役員達が勢ぞろいしており、挨拶を求められ、何かはしゃべったが何をしゃべったかは今でも思い出せない。
こうして、社長になりたくて、社長になるための勉強をするために入った会社で、自分が社長になるという、奇妙ないきさつで、ナンバー2を卒業し社長になることになった。
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