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いかにナンバー2というポジションに行きついたのか(自己紹介②)

大きな壁にぶつかって

新卒で就職したのは新築ワンルームマンションのデベロッパーで、

朝から晩まで電話をかけまくってアポをとる仕事、いわゆるテレアポという仕事だ。

ガチャ切りされる電話を朝から晩まで、来る日も来る日もかけ続ける。

普通の人は精神的にかなりきつい仕事。(今は昔と違ってだいぶ環境は良いらしいです。)

同期もどんどん辞めていき、1年も経つと同期は約半分に減っていき、その間、中途で入ってくる人たちもどんどん辞めていく、そんなハードな会社だったが、自分は何としても営業ができるようになりたいという強い思いと、もともと根性はあった方なので、何とか頑張っていた。

ただ、入社直後に偶然取れた契約1本以外、半年、9か月と契約が取れない日々が続き、もうさすがに営業は無理かもしれないと思っていたが、あきらめの悪い性格が災いし、悔いが残らないためにも、もう3か月だけ休まず誰よりも電話をかけて契約が取れなかったら辞めようという勝手なルールを作り実践した。

この時、休みの重要性を実感した。

休まず働き続けると、体の抵抗力がなくなって、風邪をすぐにひき、それが全然治らない。

鼻水をたらし、咳をしながら電話営業をしても、当たり前ですが、まったくアポが取れない。

もう限界だ。。。

そのとき、採用面接のときの部長に

「ちょっと一緒に来い」

と、外に呼び出された。

「お前休んでないだろ。俺はこれから仕事さぼるからお前も一緒に来い」

と言って、二人で喫茶店に入り、お互い漫画雑誌を読むというとても気まずい時間が1時間ぐらい経ち

「お前、もう限界だろ。電話営業はお前には向いてない。」

急に来たクビ宣告。

悔しさとよりも、やっと辞められるというほっとした気持ちが勝っただろうか。

「電話営業は向いてないから、直接、客に会って営業しろ」

クビではなく、部署異動だった。

その後はモデルルームに来たお客様を対応する反響営業に移り、順調に営業成績を上げることができ、その後3年間、その部署で安定した生活を送ることができ、結婚まですることができた。

喫茶店で部長との会話の中で、

「男の人生には大きな壁が立ちはだかることがある。お前は今大きな壁にぶつかっている。これを乗り越えるか避けて通るかでその後の人生は大きく変わるぞ。一度避けてしまうと、それが癖になって、ちょっとした壁でも乗り越えられなくなる。でも、一度大きな壁を乗り越えたら、次の壁も超えることができるようになる。」

というような話が今でも忘れられない。

まさに、当時の新卒1年目でぶつかった壁は大きく辛かったですが、逃げずに乗り越えられたと思っている。(電話営業は無理だったけど)

限界まで来ていた自分を見ていてくれて、部署異動をさせてくれた部長に救われた2度目の出来事だった。

ブログ仲間からの誘い

社会人4年目、仕事も慣れてきて、結婚もして、このまま順調に行くかのように思っていたが、やっぱり自分には社長になるという夢があって、このままあきらめてしまうのか?という迷いが常にあった。

そんなモヤモヤを吐き出すために、当時流行りだしたブログを書き始めた。

社長になりたいという気持ちをいろいろ記事にしているうちに、実際の社長さんたちとつながるようになり、さらに刺激を受け、独立へ気持ちが向いていった。

独立も具体的に準備し、フランチャイズ契約の直前まで行ったとき、ブログ仲間であった千葉で不動産会社を経営している社長からメールが届き、

「うちはまだ創業したばかりだから、勉強だと思って一緒にやらないか?」

という誘いが来た。

詳しく話を聞くために一度食事をしたが、とにかくよくしゃべる&食べる人で、ひたすらこうしたい、ああしたい、だとか仕事に対する想いなどを永遠と聞き続けた。

あまりもの情報量で逆にほとんど何の話だったか覚えてないが、とにかく千葉をもっとよくしたい、不動産業界をもっとよくしたい、そして、自分たちの儲けではなく、お客様にいかに得をしてもらうか、そのために仕事をするんだということだけは覚えていた。

特に当時の会社は歩合の割合が大きく、とにかく物件を売って稼げ!という社風があり、お客様がお金に見えていた自分がいた。

ただ、不動産という大きな商品を買ってもらうのに、お客様のことが二の次になっていていいんだろうか?という想いもあって、社長のお客様のために仕事をするという考えに共感して、独立はいったん保留し、千葉の不動産会社に転職することとなった。

千葉の不動産ベンチャーに転職

転職して給料は今までの半分以下、手取りが20万円を切っていた。

結婚もしてるのに、縁もゆかりもない千葉に引越した。

今思うと「どうかしてた」としか思えない。

社員は社長と自分と経理の3人。

仕事はほとんどなかった。

弱小企業のくせに大きな夢ばかり語る社長。

「金が足りない」が口癖の経理。

社長が出すアイディアを実践・実行するのは自分。

お金はなくても、毎日刺激的で楽しかった。

この時から、ナンバー2の仕事の大きな仕事である「社長の思いを形にする」ということを実践しながら学んでいたのかもしれない。


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