158日めのこと

一枚、服を買いました。


前にも少し書いたけど、父が亡くなってからこっち、洋服を買うことができなかった。あと、芝居も見に行ってないし、ライブにも行ってない。芝居やライブは今は行きたい公演がないっていうのもあるんだけど。



冬服もずーっと眺めてたし、今年こそ新しいコート買いたいなって思ってもいたんだけど、冬は過ぎ去り春物が店頭に並ぶ頃になってやっと一枚春ニットを買った。
洋服は私の場合必要に駆られて買うことってほとんどなくて、自分が欲しいな、いいなと思ったタイミングで買う。つまり、自分の嬉しい気持ち・楽しい気持ちと必ずセットになっている。


たぶん、それが怖かったんだと思う。申し訳なかったんだと思う。
同じことを他人に対して感じることはないと前置きしたうえで書くけど、何日でも何ヶ月でもずっと泣いて過ごすのが正しいんだと思ってた。だって父親を亡くしたんだから。正真正銘、自分にとってこの世界でただひとりしかいない存在を失ったんだから。楽しい嬉しいなんて言語道断、そんなの冷たすぎるだろうって。


……今でもその気持ちはうっすら底に残り続けてるけど、同時にそれじゃ生きていけないよなってことも理解してる。悲しむって疲れる、体力使う。悲しんだままじゃ仕事もままならないし、半端な仕事はしたくないし、他人に気を遣わせるのも嫌だし。
お父さんのことを忘れないで、色あせさせないで、そのままで、普通の生活に帰って行かなくちゃ。


それって別に何ひとつ楽しいことをするなってわけじゃないんだよね。楽しんでもいいよ、笑ってもいいよ、でも不在には慣れたくない、不在であることにはいつまでも胸を痛めていたい。
「胸を痛めていたい」って字面だけ見ると本当に意味がわからないけど、でも、そうなんだよなあ……痛みはつまりお父さんがいたことの証拠だからね。


158日め、洋服を一枚買いました。NBBのリブニット、色はグレーって書いてあったけどちょっとくすんだピンクもまざってる感じがする、落ち着いた色だけどかわいい。上下にジッパーがついていて、きれいすぎなくて使いやすそう。
ウエスト部分がリブでぴたっとしてて、骨格的にウエストマーク必須らしいから、合うかなと思って。リブでぴたっとしてる分、ちょっと胸が目立ってしまうのが心配なので小さく見せるブラと一緒に着る予定。


別にうちの父は新しい服着てたって気づきもしないタイプだったから、本当に私が一人で気にしてるだけなんだけど。
お父さん、新しい服を買いました。ちょっと華やいだ気持ちになりました。申し訳ない気もするけど、こういう気持ちも味わいながら、お母さんと二人、笑いながら泣きながら生活していきます。たまにはお花以外に、お父さんの好きな食べっこどうぶつとか、あんマーガリンコッペパンとか買ってくるから、許してね。

(私、亡くなった方に対する感覚がちょっと変で、今も「許してね」より最初に浮かんだのは「(そっちで)元気でいてね」っていう言葉だった。祖父が亡くなった時も「もう会えないんだ」と同時に「次はいつ会えるんだろう」って思ったし。本当に体も心も消滅してしまったなんて思いたくなくって、いわゆる天国的な所に今もみんないるって思っていたいんだろうな)


ここまで書いてきてなんだけど、下着をchut!さんクローズ前に買いあさってたことには洋服みたいな罪悪感がなかった。洋服はやっぱり「他人の目に映るもの」であって、イコール周りから「もう大丈夫そう」とか「親亡くしたのに全然元気じゃん」とか思われるんじゃないかって恐怖が強かったんだろうなー。
誰もそこまで見てねえよ!人の服見て、そんなこと考えねえよ!
私が一人で悩んで抵抗して葛藤してじたばたし続けて、そしてやっと抜け道を見つけ出した、158日間でした。

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