7月18日

そうぞう力とは知識です。

私たちのまわりには、見えてしまう謎が多すぎる
閉じていれば永遠に見えなくなるはずの闇は
なぜか開け放たれていて
けれどもそれはやっぱり本物ではない、
本物ではない扉をあけて、私たちは
最初に飛び込んだものの足跡を必死に追うのです

そうぞう力とは知識です。

鑑定団を頼らなければ分からない真偽を
今日も私たちはひとりでに勝手にしゃしゃり出て
ああだこうだと宣います
本物の足跡などひとつも見たことがないくせに
記憶と妄想と伝聞と創造の区別もつかないまま
知っているふりをするのです

だれかが静かにこの世界から消えた時
私はきっとなにも考えていないのでしょう
時間が動く瞬間を気にする人なんて本当は誰もいなくて
時計という、太陽という、月という、星という道具を使って
ようやくなんとかそれを意識の隅に置いている

過去のことなど理解できるはずもなくて
そもそもがくだらない定義で仕切られた
便宜上の概念を必死に解き明かそうと
残されたコンテクストを繋げて
何とか筋を通すために捻じ曲げて伸ばして丸めて伸ばして
おそらくはもとの形などというものすらないのに
一体私たちは何をしているのでしょうか

知っていると思ったのです。

きみがみているものも
かんがえていることも
にあうふくも
すきなひとも
行き先も夢も

教えてくれていたのは私の中のきみでした。

私の知っているきみは

私が生きていたきみでした。

きみとして生きる存在が
どうしているかは私にはわかりません
手を伸ばして届く位置にいるだろうかと
いつからか毎日考えるようになりました

季節が逡巡しているような
それすらも結局のところはわからず
明暗も時を表すものではなくなりました
諦念を知らなかった頃のわたしを
私はもう思い出すことができません
ただとまらない流れの中で息も絶え絶えに
結論のない思考を、飼い続けています

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