キャンプの朝、車中で思う。
人に疲れていたみたい、と気づいたのは、フリーランスになってからだった。
オフィスよりもうんと小さい。それでもすがすがしいくらいに開放的な六畳の自室で、キーボードを打つ。工事の音や、近くの道路を車が走る音や、風がごうごう鳴る音のなかに、タイピングの乾いた音がちんまり響く。
身内のほかに、人の声はない。
それが心地良かった。
仕事はビジネス用のマッチングサイトでとる。面接やオンライン会議のない事務・ライティング案件に絞った。たとえオンラインであっても、顔と顔が見える状態で人とかかわるのは、なんとなく避けたかったから。
可もなく不可もなく、こじんまりとわたしは過ごしていた。ちょうど、世間では、感染症が蔓延している時期だった。
いつかみんな、外出したり、マスクを外したりするときがくる。でも、わたしの世界では、いつまでも自宅待機のような日々が続いていくんだろうなと思っていた。それで、よかった。
退屈。行き詰まり。閉塞感。
ふりはらっても、ふりはらっても、何度も湧いてくる言葉たちに向き合ったのは、フリーランスになってから三年が経とうとする頃だった。
インターネットでとある案件を見つけて応募した。
オンライン面接も、定期的なオンライン会議もある。
わたしにとっては苦手のオンパレード。
思いきるしかなかった。
その頃には、面接やオンライン会議なしで、条件のよい仕事をとることが難しくもなっていたから。
希望の職種ではなかったものの、なんとか合格。
飛び込んだ環境は、思っていたよりもあたたかかくて拍子抜けした。
誰かと協力して、仕事をするのも想像より楽しい……かも、と思えるくらいに。
他のスタッフは親切だし、困ったら助けてくれる。
なぜ、あんなに人とのかかわりを避けていたんだろう。最初は、ちょっと疲れを癒そうとしていただけのはずなのに。
理由はわからなかった。
どうしてか、人が少し怖かった。
仕事を通して少しずつ人と交流する日々は、リハビリのよう。
オンライン会議で、顔を見て意見を伝える、あいづちを打つ、人の反応を確認する。笑顔をつくる。
なんてことないささいな社内面談でさえも、心臓はドクドク鳴っていた。
冷や汗をかきながら、わたしは平然と発言をしている人たちを羨ましく思った。
不思議なもので、慣れってある。
わたしはだんだんとオンライン上で人と顔を合わせる交流に慣れていった。
誰かにとっては、「そんなこと」と思うかもしれない。
けれど、ひとつ扉の向こうの世界に行くような感じ。わたしにとっては。
そんなタイミングを見計らったかのように、なんにも知らない友人からお誘いがきた。
秋のことだ。
「キャンプに行こう。泊まりで」
THE・インドア型。アウトドアは苦手。人と長時間一緒にいると疲れてしまう。
返答は「NO」のはずだった。
ちょっと前なら、ぜったいに。
それなのに……。
どうしてか、行ってみようと思った。
パリ、という音がした。
わたしの殻が完全に割れた音じゃない。
沢でとったカニを誰かが食べている音。
数人のメンバーで、鍋を囲んだ。焚き火を囲んだ。
薪が燃え、ぱちぱちと火が弾けて、やがて小さく消えていく。
なにげない会話と、巻き起こる笑い声。たまに、風が吹いていく。
イスから立ち上がり地面の上を歩くと、靴底の裏で砂利がゴロゴロと転がる。どこかのテントサイトで犬が吠えて、子どもが声を上げる。
いつもとは違う、光景と音と香りと感触がどこまでも新鮮だった。
わたしの不安をいい意味で裏切るように、心はずっと安らかだった。
人の車で目を覚ます。
おこがましくも、ひとり車中泊。
少し曇った窓ガラスの向こうに、薄い水色の空が見えて、ほっとした。
キャンプ場は、昼は暑くて、夜は寒かった。木々が生い茂るぽかぽかした場所も、日が暮れると深い闇とキンとした冷気に包まれる。
月も星も分厚い雲の裏。
光がなくて不安になった。
でも……。
朝がくると、今度は真逆の変化がちゃんと起こった。
ふたつの表情の差にびっくりしたけれど、キャンプ場内には、さも当然といった空気が流れている。
それが、なんだか嬉しかった。
視線を車の天井に戻す。
まだどこかうとうとしている頭でぼんやり思った。
大丈夫。少しずつだけど、成長している。
だって、わたしが人と一緒にキャンプをしているだなんてこと、数年前には想像もつかなかったことだから。