外の世界に出てみることとは
私は小さい頃から
飛行機に乗って行く「海外」と言うモノにとても憧れてたけど
なかなか留学と言う選択ができなかった。
親の意見や経済面の話以前に、
自分にはその決断をする勇気がなかったのだ。
今ある友人や家族との楽しい生活がなくなるのも、
いくら想像してもなにも浮かんできやしない海外での生活に飛び込むのが怖かった。
大学のアメリカ文学史の授業中、
絵に描いたようなおじいちゃん教授が、
手で押さえないと開かないような分厚い洋書に書かれた、
200年くらい前の「詩」の解説をしている時間があった。
200年前の「詩」には全く興味もないし、
もはやどうやってこの授業の単位を取るか
授業を聞く以外の別の角度での対策が必要だと考えを巡らせていた時、
ふと耳に入った教授の言葉が、
自分を知るためには、
自分と違うものと関わることが必要である
だった。
その授業で読んでいた(であろう)詩が、
そのようなことを言っていたらしい。
19歳の私にはとても新鮮な表現だった。
違うものと関わること、違う世界に行ってみることは、
違いを目の当たりにすることで、自分を客観的に理解する事であり、
関わったその「違うもの」に自分が染まってしまい、
今の自分を失うと言う意味ではないのか。
(今冷静に考えると若かりし私は、
海外に行く前から、行った先で考え方や生き方に
頼まれずとも積極的に同調して行くつもりでいたのであろう…。)
私が大学で学んだ大きなことの一つ。
その前後の先生の言葉は全く記憶にない。
一体アメリカの誰の詩なのか、今でこそ気になるが、
黒っぽい本の表紙であったことくらいしか覚えておらず、探す手がかりもない。
海外に行って、
自分がどんな人間なのか
この根拠のない憧れの源はなんなのか
今後どう生きていきたいか
などが分かれば、そこでまた選べば良いのだ。
今でも結局自分が何者なのかなんて説明できない。
でも色々な物事と関わり、自分を理解すると言う作業を続けている。
多分死ぬまでこんなな感じだと思う。