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月夜の廃ビルの屋上で。(短編!すぐ終わる)

満月が、驚くほど綺麗だった。

それはもう、一度見れば、二度と目が離せないほど。

こんな都市の上でも、どんなイルミネーションよりも、街灯よりも、信号よりも、看板よりも、車のライトにさえ負けず、輝いている。

思わずタクシーの運転手に「ここで止めて下さい」と言ってしまった。

車から出れば、夜風が心地よく、頬を撫でてくる。

月夜の街は意外にも暗く、月に明かりを吸い込まれてしまったみたいだった。

その暗い街を、月のよく見える場所を探して歩いていく。

上を見ない日本人とぶつかり合いながら。

空も黒い。

雲一つなく、夜の漆黒の美しさを見せびらかしていた。

月はその暗闇の中堂々と浮かんでいる。

手を伸ばせばそのまま月へと上がっていけそうだった。

この月はきっといつもの百倍引力がある。

そんなあり得るはずのないことを考えながら、月を目指して歩く。

その私の瞳に、黒い空に浮かぶ構想ビルが映った。

そのビルは三週間前に潰れた会社の本社で、まだ真新しさを残しながらうっすらとホコリをかぶっていた。

自動ドアも開いたまま壊れている。

それさえ修理する金がその会社には既になかったらしい。

中へ入れば自分の靴音がやけに大きく響く。

誰もいないビルの中、天井や床が黒々と光って、まるで漆黒の空に塗られたみたいだった。

階段を上がって行けば、行くほど、体に謎の引力を感じる。

もしかしたらこのビルは空と繋がっているのではないか。

そんな空想が頭によぎって、独り

「馬鹿馬鹿しい」

と呟きかけた私に冷たい夜風が強めにあたった。

屋上についたのだ。

腕で顔を庇いながら上を見上げたその瞬間、私は息をのんだ。

そして、さっきの独り言を撤回した。

月が近い。

空が近い。

漆黒の空と、白く光る月。

月の輪郭は青白く浮かび上がって見える。

実にシンプルで、広大で、美しすぎる景色だった。

言葉も息も忘れてただただ立ち尽くす。

月の光が黒いビルを私ごと照らしている。

コツ、と足音が聞こえてハッと我に返った。

しかし体はふわふわと浮いているみたいで夢の中のような感覚だった。

誰の足音か、おぼろげな頭で、確認しなければ、と思って振り返ると驚いたことに頭の上の方で結んだ長い黒髪を風にたなびかせる17か18くらいの少女が凛と立っていた。

漆黒の長髪、白い肌。

まるでこの月夜の景色でその体を創り上げたかのようだった。

「……こんばんは」

ハスキーな声で話しかけられてふわふわとした体も頭も、やっと現実に帰ってきた。

「あっ……、こんばんは」

目覚めた私が一番初めに考えたことはなぜこの少女はこの屋上にきたかだった。

彼女も月に引き寄せられて……?

しかしその理由ではなんとなくしっくりこない。

いぶかり続ける私の脳裏に嫌な考えが浮かんだ。

まさか……。

頭を振ってその考えを消し去ろうとしても、屋上に少女が一人で、という事実がどうしようもなくその考えの正確性を示していた。

私から視線を外して、少女は、もう一度歩き始めた。

そしてゆっくりと私の横を通り過ぎて行った。

その動きを、目で追って、彼女の足の向く先を見る。

そんな私の視線に気が付いたのか振り返ってニコッと笑いかけると彼女は屋上の端っこに腰を下ろした。

その彼女の動作が自然すぎて私は混乱した。

そこは公園やバス停のベンチなんかじゃないんだよ?

そこで足を踏み外したら二度と戻っては来れないんだよ?

頭では動揺しながら、何故か私の体は落ち着いた動きで、彼女の横に彼女と同じように腰を下ろした。

「ふふっ」

軽く笑うと、彼女は下を見下ろした。

私も彼女の動きをなぞる。

高層ビルから見る街は、地上から見た街とは全然違う。

この月に比べれば塵と同じような光が無数にきらめいて集まって月に負けじと輝いている。

漆黒の空とはかけ離れた、色とりどりの道や建物が、星のような小さな光たちを取り囲む。

この広大で静かな闇夜とは違い、いろいろな人の、物の、さまざまな声が、音が、聞こえる。

「……」

月を見た時に感じた絶対的な美しさはみじんも感じられないが、小さくとも懸命に光る街灯や信号や看板や笑い合う人々の織り成す生活の綺麗さにもう一度言葉を失った。

「綺麗だねぇ」

ゆったりと横で彼女が呟いた。

「私もあの中へ飛び込んでいくんだ」

修学旅行を夢見る子どものように明るく話す彼女に恐怖さえ覚えた。

「……どうして?」

私が、他に言葉が思いつかなくてそう聞くと彼女は笑って

「プライベートなことだからなー、言いたくない」

と答えた。

そう、と受け止めるのも、そんなに言いたくない事なの?、と迫るのもはばかられてただ黙っていた。

「飛び込んで行っていい?」

彼女が遊びに行く許可を親にねだる子どもみたいに、これもまた軽くいうので、私も思いついたまま

「やめて」

と返した。

「……なんで?」

彼女からしても予想内の言葉だったのだろう。

やはりそう言うよね、と思っているのが感じられる。

「月が、綺麗だから」

「え?」

しかしこの答えは意外だったようで、彼女は驚いた顔をした。

「月が綺麗ですね、ってこと?告白?」

と戸惑いながら聞いてくる彼女に私は笑って

「まさか!」

と言いながら手で空を示した。

彼女が顔を上げて月を見る。

息を吞む音が聞こえた。

「こんな月夜に飛び降りるなんて野暮だよ」

「なら、明日ならいいの?」

意地悪く聞き返す彼女に

「駄目だよ」

と私はふてくされた口調で答えた。

「なんで?」

「高所恐怖症だから」

彼女がまた驚いた顔をする。

さっきから私の答えは全部彼女の予想の真逆をいっているのだろう。

月の美しさにすっかり忘れてビルを上ったが私が高所恐怖症なのは事実だ。

「あなたが明日も飛び降りようとするなら、私、またここに来なきゃいけなくなってしまう」

その私の返答に彼女しばらくポカンと口を開けた後、ククッと笑い出した。

「ずるいな、それ」

と言いながら彼女があまりに明るく笑うので

「私が死んだ後でしか、あなたは死んじゃだめだよ」

と彼女を真似て意地悪っぽく言ってみた。

「え?」

「私は百二十歳まで生きるから。あなたはその時まで生きててよ、私と一緒の時代をさ」

私がこの広大な空にも響きわたるほど大声で冗談を言うと彼女も同じくらい大きく笑って

「そうするよ」

と答えた。

無理だよ、と言い出すと思っていた私は意外に思ったが、それを顔には出さずに

「約束ね」

と小指を差し出した。

彼女はその小指に自分の細く儚い小指を絡めて

「うん。その代わり、あなたもちゃんと百二十歳まで生きてよ」

と後の方を意地悪っぽく言うと

「じゃないと、針千本飲ますから」

と付け加えた。

「嘘ぉ」

とわざとらしく怯えてみせる私に彼女はまた笑い出す。

彼女の笑い声につられて私もだんだんと笑えて来た。


恐ろしく美しい空と、小さな明かりが集まる輝かしい地上に挟まれて、高く危険なビルの屋上に二人の女の笑い声が高らかに響き出す。








こんにちは

こんです。

公園でのできごとを書こうと思ってnoteを開いたのですが、月の音楽を聴いていたので、不意に月について書きたくなって、今回は息抜きということでこの作品を書かして頂きました。

コロナの影響もあってか自殺する人が多いと聞きました。

本当に嫌な話ですね。

皆さんも辛くなったら、しんどくならないうちに息抜きしてくださいね。

最後まで読んでいただいて誠にありがとうございました。

楽しんでいただけていたら幸いです。

感想等あれば、コメントしていただければありがたいです。



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