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仏教で大切な縁起について

先日、自己紹介にて私が理系人間であると書かせていただきました。

普通に聞くと「宗教と科学って相反するんじゃないの?」と思われるかもしれません。
実際に私が中央仏教学院で仏教をちゃんと学ぶまでは同じように思っていましたが、まったくそんなことはありませんでした。
仏教を学べば学ぶほど非常に合理的であり、本質を突き詰められるような気がします。
一般的の方からすれば仏教の教えはどこか空想的であると思われるかもしれませんがそうではありません。

お釈迦様の教えの一つに縁起という考え方があります。
縁によって生じ、縁よって滅すという仏教で大事な教えの一つです。
簡単にいうとすべてには原因があり、縁があって結果が生まれるということです。
正式には因縁生起と言います。
様々な出来事はすべからく縁によって成り立っているという考え方であり
非常に合理的だと思っています。

たとえ話ですが、
A君という友達がいます。A君とは○○小学校で出会い趣味が一緒だったので仲良くなりました。A君とはその後卒業してからも仲が良く、大人になった今では心を許せる大切な親友です。

親友に乾杯

さてこのA君について考えてみましょう。
なぜあなたにはA君という親友がいるのでしょうか?
(結果)それは○○小学校で出会うという縁があったからです。
なぜ仲良くなることができたのですか?
それは趣味が一緒だったからです…
と答えることができます。

さてこの事例を仏教的に解釈していくと、
例えばあなたが別の××小学校に行くというパターンを考えてみましょう。
この小学校に行ってしまうとおそらく生涯を通してA君という人物にさえ会うことはなかったでしょう。○○小学校に行く縁があったから結果的にA君に出会ったわけです。
次に○○小学校に行っていたとして、もし趣味が違う場合は?
A君と友達になっていたとしても親友と呼べるほど仲良くなっていたでしょうか?共通の趣味を持つ縁があったから仲良くなるという結果が生まれました。

このように考えると、様々な縁が成り立ってA君という親友がいるという事象が成り立っていることになります。またちょっとしたことで未来の結果というものは変わってしまいます。
こういったものの考え方は人間関係だけではなく、物、事象、命といったすべての物事に共通する真理です。誰が聞いてもおそらく納得できる内容であると思います。お釈迦様はこの縁起という真理を発見されました。

余談にはなりますがビジネスマンがよく使うトヨタ式のなぜなぜ分析が縁を考えるときに役に立つように思います。なぜなぜ分析とは何か問題や課題が生じたときになぜ問題が発生したのか?を繰り返し問い、根本的な原因をあぶりだす手法です。

トヨタランドクルーザー

例:なぜあなたは存在するのですか?→両親が出会ったからです→なぜ両親は出会ったのですか?→それは・・・といった具合に考えるとわかりやすいように思います。

この縁起についてお釈迦様は深く深く瞑想し考えられたそうです。
こう考えてみると仏教の教えって全然空想的ではなく、非常に合理的な考え方なんだと腑に落ちました。

少し長くなりましたが、今回はこの辺りまでとさせていただきます。
ご覧いただきありがとうございました。





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