話が長い人間の、話の長い言い訳

 さて、私は非常に話が長い人間である。
 「小娘さん、新聞の大見出し、小見出し、本文の順番で話しましょう」という小学校の先生のアドバイスは実によく言ったものであるが、そう言われてから十年以上たってもこの悪癖が治る気配は一向にない。

 とにかく話が長く、順序だって話をするのが苦手なため、私と話をするのに慣れていない人は、この人間の話をいつ切ればいいことかとイライラすることであろう。

 では、それを直す気がないのかとか、反省していないのかとか言われるとそうでもない。大概その日の終わりに浴槽の中で体育座りして一日の出来事を反省する中、思い出し、後悔し、顔を湯につけて赤面しながら息を吐き出すのである。これまた小学校のころから変わらないことであるが、長風呂しすぎるきらいがあるのはこのためかもしれない。

 しかし、大学入学後に出会った担当教員は実に面倒見がよく、且つ非常に厳しい人であるため(怒鳴るだとか、モラハラ気質がある人では全くない。人間として真っ当に?、厳しい人である) 、私をこの五年間訓練し続けてきた。私は先生のもとで研究補助の仕事をしているのだが(データ収集やExcel入力などによる整理作業) 、仕事の際の説明が長ければ容赦なく途中で切るか、根気強く言い終わるまで待って話し方のどこが悪かったか説明させ、常に簡潔に話すように促してきた。勿論食事や雑談などではそこまでビシバシ言ってこない。何かを説明するときに擬音で済ませがちの私に、「ここをぴゅってやる、とはどういうことですか」、「ひょい、ではわかりませんよ、言語化してください」と言語化の訓練もさせている。本当に頭が上がらない。

 その甲斐あってか、私も彼と話すときは特に物事を離すときの順序をよく考えるようになり、いわゆる、大見出し、小見出し、本文の順で説明するようになった。擬音もだいぶ減っ……た、と思う(当社比)。

 実は私が簡潔に話すよう努力する理由はほかにもあって、それは彼の多忙さである。大学教員というのは講義と研究以外に大学から様々な事務仕事や出張講義を押し付けられている。そもそもいくつも講義を持ち、毎度授業資料を作成し、学生の質問やホントかウソかわからん欠席連絡にいちいち連絡し、試験を作り採点し、そしてすべての学生の成績をつけるだけでもとんでもない仕事量であるというのに(私の学部だと、多い講義で学生数は二百を超える)、やれ受験担当だ、やれ付属高校に出張してくれ、やれ今日はこの会議だあの会議だと、目まぐるしい忙しさだ。いつも疲れてフラフラだし、過労で倒れてもおかしくないと感じている。だからこそ、彼の時間は貴重で私のつまらない話で時間を奪ってはならんと思うわけだ。

 すでにお気づきかと思うが前置きだけでこの長さだ。しかし自分のブログでダラダラと独り言を話すときくらい長ったらしくなってもよいと思うのでこのまま続行することとする。ちなみに本題はここからだ。

 でも、どう頑張っても話が長くなってしまうことがあり、且つそれをある程度は許容してほしいと思う場合がある。

 数か月前、私は彼からとある仕事を預かり、休日に自宅でやってくることになった。詳細は省くが、こういう場合あらかじめ先生と、いつやるかを話し合っておく約束になっている。しかし私は週末にどうも生理が来そうな気配があった。だから私は先生に

「週末は実をいうと生理が来そうな、来なさそうな気配があって、私は一日目が一番重いものですから、もし来たら土曜日には作業できませんけど、日曜日には作業できます。そただ、二日目にもひきずることがしばしばあるのでその時は火曜日に……」

 とここまで言ったところで先生に

「もうそういうの良いから、とにかく土曜か日曜にはできて、駄目なら火曜ってことですね」

 とぴしゃりと言われてしまった。結構冷たい言い方で、少々いら立っていて、私はさーっとなったし、怒られたような気がしてかなり落ち込んだ。こういうの、結構引きずるよなぁ、私だけかしら。

 まぁ、普段のことなら私も、しょうがない、と反省して、次頑張ろうと思えるのだが、その時はそう上手くきもちを切り替えられなかった。

 まず、仕事の日はできるだけ、この日、と指定するようにしたほうがいいという先生との約束がある。その仕事の指定が、二日どころかほぼ四日にわたって揺らぐというのはあまり良いことではない。私の信用にも関わりそうだ。私が悪い私事やミスでそうなるならともかく、生理はどうにもこうにもならん問題だ。他者に支援や譲歩、妥協を求めてしかるべき事象である。

 私がこうして自分の生理に関して赤裸々に話ししんどさを言葉にするのは、生理を社会で可視化する私なりの運動であり、日々の努力である。しかしそう言いつつも、生理とはっきり口にするのは、ましてや自身の症状や、しんどさについて話すのはかなり勇気のいることでもある。どれだけ私がそうでない風を装っていたとしても。

 先生だって、私の話を(生理の話を)男性であるからとかで断るような人ではない。でも、遮った時の彼は、忙しさゆえとか、私の話の長さからくる苛立ちだけではない苛立ちも纏っていたような気がする。

 じゃあ、生理についてもっと簡潔に話せばよかったんじゃないの?症状とか言わずに、とりあえず生理のせいで仕事の実行日が前後します、と、こういえば一行で済むではないかと。まぁそういわれれば、そうでしかない。

 でも、私の話が長いのは単純に話の技術だとか、言語化能力、意識の問題ではないのだと思う。私の話が長いのは、私が実は臆病で、存外人見知りする人間だからだ。

 そういわれると、私の知人の九割は間髪入れずに反論してくるだろう。馬鹿を言え、君は初対面の人間にもよくべらべらと物怖じせずに話すではないかと。

 でも、本当に私と付き合いの長い人間や、観察眼を持つ人間なら、私のことを、小娘さんは結構人見知りしいだからね、という。

 以前、非常に仲のいい先輩に「小娘さんは自己防衛のために人に話題を振っていくところがあるよね」と言われたことがある。京大の楠の前、夜二人で酒を飲みながらこう言われた時のことは良く覚えている。その時ほどうれしかったことはない。人にそういう自分の性格を言われたことはなく、人の認識と自己認識の相違に結構傷ついていたからだ。

 とにかくこの言葉が一番的を射ていると思うが、私は人見知りから、自分の柔こいところに話題を振ってほしくなくて、自分から話しかけていくところがある。自分で話を振ったほうが自分の予想がつく範囲で話が進められるから。でも、本当に知らない人ばかりの場所や、慣れない場所では、一切人と話さず、黙り込んで、あとから来た友人曰く借りてきた猫のようになっている。貝殻を閉じて、気配を消し、じっとしてその場をやり過ごすし、話しかける勇気なんてものはそういう場所でなくても持っていない。初対面の人間に話しかけるときだって(よくしゃべる私の時)本当にとんでもない勇気を振り絞って話しているのだ。決してそういう風には見えないだろうけど。

 とにかく、なんでそんな風に奇妙な生き方をしているかと言われれば、私が臆病であるからという一言に尽きるだろう。私はとにかく臆病な人間であるため、話しかけられれば自ら話題を振るし、話さないときは一切話さないである。

 先生と話すとき話が長くなったのも、私が臆病で、誤解を生まないようにどうやって話せばいいか、20も30も考えたからである。症状とか言わずに、とりあえず生理のせいで仕事の実行日が前後します、と言えばいいところを、私は日にちが前後する、一日目が重い、予測がつかない、と色々情報を足し、とにかく誤解されないようにしようとしたことに加え、そもそも生理の話でびびっていたことが話を長く長くしてしまった。

 でもしょうがないじゃないか、生理の話なんだから、元来の臆病な性格に拍車がかかるのは。

 こんなこと、数か月後もたってから先生に言うわけにもいかない。でも数か月ずっと心の中でもやもやしている。私のフォロワーの言葉を借りるなら、こうして読んでもらって、このもやもやにお線香をあげてもらいたくなったんだ。

 しょうもないよね。でもしょうもないって自分に言ってやったらちょっとかわいそうだよね。言葉をかりたフォロワーが教えてくれたDua Lipaの「IDGAF」のMVみたいに自分で自分の額にキスをしてあげよう。そのキスが、たぶん、この文章。


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