心が痛んだエアマン
挫折のない人生などなく、人間だれでも傷つき、傷つけながら生きています。心に受ける傷の深さは、同じ内容でも人によって違います。一概に傷つける側が想像するより、傷つけられる側がより深い心の傷を負うものです。職業操縦士のエアマンでは、この職種特有の心的外傷があるものです。
まず一番日常的な事例は、厳しく過酷な飛行訓練を受けて、機長や教官から過度の暴言やハラスメントを受ける例。「過度の」という程度がケースバイケースであり、職業訓練である以上、ある程度の厳しさや過酷さは必要な訳で微妙です。年長と若手のエアマンがペアを組むと、年長のエアマンはかつて自分が受けた程度の厳しさで若手に臨むため、それを人世代違う若手はハラスメントと受け取ります。パワハラ、モラハラ、セクハラ等々ハラスメント花盛りのご時世ですから、告発される方もたまったものではありません。総務部にハラスメント報告を出すと、昇格訓練課程から外されることもなく、会社で騒ぎを起こして上司に復讐できると考えるZ世代エアマンがいるそうですから、桑原くわばらです。
次なるケースで多いのは、軍隊式の体罰を伴う訓練を受けて、心的外傷を負うエアマン。自衛隊に限らず、かつて航空大学校の訓練でも見聞したことがありました。訓練機のATCを聴いていると、教官の叱声だけでなく、棒か何かで訓練生の体を叩いている音と悲鳴が聞こえるのです。昭和時代の話ですから、令和の今日には根絶されていると強く望みます。こんな教育を受けたエアマンがCRM(Crew Resource Management)を励行するなんて考えられません。ある航空会社の運航本部員が、軍隊から割愛されたエアマンを中堅幹部に登用したくない理由として、こういう懸念を挙げていました。
最後のケースは戦闘経験があるエアマンの心的外傷で、PTSD中最も深刻なものです。FAAメディカルでは軍を除隊して民間航空のパイロットを目指すエアマンが沢山おります。飛行中に何かが引き金となって、従軍中の嫌な、怖い記憶が心の中に沸き上がり、操縦に集中できなくなるのです。かつて交戦した時の同型機に搭乗したとかであれば、凡人にも容易に想像できますが、実際にはごく普通の状況で悪夢に苛まれるようです。
「さざ波の立つ水面に夕陽が当たってハープを奏でるように美しい風景を見ると、撃墜されていつ来るか分からないまま救援機を待っていた自分を思い出す」と云って泣き崩れたエアマン。「道路に沿って500ftで低空飛行すると、機銃掃射して敵を掃討した時のことを思い出す」と云って、ブルブル震えながら脂汗をかいて拳を握りしめていたエアマン。過去の残忍な戦闘状況を漠然と思い起こしてか、唯々虚ろな目をしたエアマンもいました。
そういうエアマンにとって過酷なことは、身体的に問題なくても精神的に操縦不能状態になりかねない場合、航空身体検査で精神科医師や心理カウンセラーによる精神状態の調査となることです。飛行中に何かがフラッシュバックして、PSTDによるインキャパになったことがあるエアマンは、大抵不適合と判断されます。飛ぶことしか知らない歴戦のエアマンにとって、何とも惨い話です。
米国ではRight of Flightという「飛ぶ権利」が認められており、日本でいう行政不服申し立てが出来ます。そうなると、診察した精神・心理の専門家の意見をはじめ、飛行教官、同僚、家族など色んな立場の関係者からの聞き取り調査が始まり、関係者も大変です。申し立ててから2年余りをかけてメディカルを獲得したエアマンがおりました。軍隊時代の上官から受けた仕打ちでPTSDを発症したのですが、その後航空会社にハイヤーされたという吉報は、とうとう届きませんでした。
精神を病んだエアマンに対する救いの手段は、未だどの国の航空当局でも体系化された更生プログラムが確立されていません。今世紀の航空医学における一大テーマだと感じます。