ある奴隷の話ーダメンズ放浪記その2ー
「離れている相手より目の前の相手が大事」
その言葉だけ聞けばなるほどそうかもしれないと思う。
実際私は友人や恋人といるときはなるべくスマホを触らないようにしている。
相手がスマホをいじる人の場合はその限りではないが、一緒にいる相手との時間を私は大事にしたいからだ。
ただ問題はその言葉が発せられた場面である。
その頃私は遠距離恋愛中の元恋人にたびたび生活費や食料品を送っていた。
当時収入がなかった私は貯金を切り崩したりポイントサイトでコツコツ貯めたポイントや、親戚の手伝いなどをしてお金を工面し、彼にせがまれるままに援助をしていた。
彼は私より9つ上の42歳で広島の造船所で働いていた。
多くはないにしても収入はちゃんとあったはずだ。
それなのに彼は無職の私にお金の無心をし続けたのである。
その理由が冒頭の「離れている相手より目の前の相手が大事」だからだった。
「この前お金送ったばっかりなのになんでもうないの?」と聞く私に彼は「仕事帰りにコンビニに寄ったとき後輩の分も払わないと示しがつかんけえ」と彼は悪びれる風もなく言ってのけた。
ここまで話せばもうおわかりだと思うが私はこのダメンズに完全に依存していたのである。
引きこもりがちで社会との接点がなかった私はそれでも好きだと言ってくれるその人に自分のすべてを預けてしまっていたと言っても過言ではない。
毎晩決まった時間に電話をし、所用で少しでも遅れれば怒られ、話題がなくて無言になれば電話を切られ、送るお金がもうないと言えば「お前はわしがどうなってもええんか」と脅された。
私は彼の作業着を買い、仕事道具を買い、彼の母親がパチンコで使い込んだ生活費の補填までした。
送金したばかりのお金を彼自身にパチンコで使い込まれ、再度送金を要求されたこともあった。
そのときは「パチンコで増やそうとした」「一番へこんでるのはわしじゃけえ責めんでくれ」と言われた。
泣くしかなかった。
彼の言い分では「いずれ家族になるんじゃけえ助けるのは当たり前」ということだった。
そうやって彼を援助しながらも3日に一度は彼に怒られその度に泣きながら眠り、翌日機嫌が直った彼に「愛しとるぞ」と言われ安心する。
そんなことを一年ほど続けていた。
それでも私は自分は幸せだと思っていた。
一生誰にも愛されることのないであろう自分を愛してくれるのはこの人しかいないのだと思い込んでいた。
彼が突発性難聴になったときはその治療費も全額負担した。
ほうっておけば一生耳が聴こえなくなるかもしれない。
助けるのが当たり前だと思っていた。
転機が訪れたのは広島に移住する資金を作るために仕事を始めて2ヶ月ほど経った頃だった。
新しい職場にもようやく慣れ、仕事仲間やお客さんとも打ち解けてきて仕事が楽しくなってきてしまったのだ。
それは私にとって新しい居場所だった。
世界が開けたような気がした。
彼とは「3ヶ月後に広島に移り住む」と約束していたが私は仕事を辞めたくなくなっていた。
新しい友達ができたことで彼に対する依存心が薄れ、それどころか援助をしているにも関わらず理不尽に八つ当たりされ続けることにいい加減嫌気がさしてきていた。
そしてある日彼に言われた。
「お前広島に来る気ないじゃろ」
その通りだった。
私の気持ちはすっかり冷めていた。
それでもまだ完全には依存を断ち切れていなかった私は半ば脅されるようにして広島まで行き、一ヶ月考えて再度別れるかどうか決めてくれと説得され自分の荷物を回収し地元に戻った。
高速バスを待ちながら「お前とは別れても友達でいたい」「一緒にディズニーに行こう」
彼はそんなことを言っていた。
なぜ別れた相手とそんなふうになれると思うのか理解ができなかった。
そして問題はその後である。
一ヶ月後、彼から鬼のような電話がかかってきた。
「約束が違うじゃろ!舐めとんのか!」
「別れるときは預けている指輪(これはもともと彼のもので私のために買ってくれたものでもなんでもない)と手紙を送ってくれ」と言われていた。
そしてこれは私にも大いに問題があるのだが彼が一人暮らしをするための資金を送るという約束を破り、手紙と指輪だけを彼に送ったのだ。
理由は単純に、1ヶ月離れて冷静になった私はなぜ彼のためにそこまでしなければいけないのかわからなくなってしまったからだ。
「俺が何もしないと思ったら大間違いだぞ。お前の家に乗り込んでやることもできるんだからな」
電話口で私は恐怖に泣きながら叫んでいた。
「私が今までいくら使ったと思ってるの」
やりくりして援助したお金は何十万になるかわからない。
けれどそれは言ってはいけない言葉だった。
脅されるようにして払わされた分もあるにしろ、私が決めて出したお金なのだから。
結局私は彼の恫喝に負けて20万円を彼の口座に振り込んだ。
落ち着いたら返すということだったが、何度か催促してももちろん返っては来なかった。
私は彼が死んだことにしてお金のことを諦めることにした。
ラインも電話番号も何もかも消して。
それから何年経っただろうか。
ふと当時使っていたSNSで彼の日記を見てしまったのだ。
そこにはこんなことが書かれていた。
「俺の最後の女はあいつしかおらん。あいつがよかった」
私は目を疑った。
何度も読み返した。
あいつしかおらん???
は???
あれだけモラハラDVをかましておいて???
流れから逸れるのでので書かなかったが、私は金銭面の搾取だけでなくモラハラや性的DVも受けていた。
せっかくのプレゼントを「こんなもん使えん」と突き返されたこともあったし、手作りして送ったお菓子には必ず文句を言われた。
熱があって苦しいのに無理やり行為を迫られたこともあった。
それなのになんだこのポエムは?
腹が立った私は勢いでその日記のコメント欄に「うつで失業してお金に困っています。20万返してください」と打った。
返事が来るとは思っていなかったが我慢ならなかったのだ。
あんなことをしておいてなんでこいつはあれを美談にするんだと。
しばらくするとショートメールでメッセージが来た。
直接話しがしたいと。
私は嫌々ながらそれを承諾した。
「具合はだいじょうぶか?金は返すけぇ」
妙に殊勝な声だった。
「うつになったのはわしのせいもあるか。すまんかったな」
「うん」
「友達になれんか」
「無理。私に酷いこと言ったよね。クズとか。そんな人と友達になれない」
「そうか、わしはそんなこと言ったんか」
どうやら最後のときに私にいかに酷い罵声を浴びせたかも、付き合っているときにどんな仕打ちをしたかも覚えていないようだった。
だからこそあんなポエムを堂々と日記に書けたのだろう。
都合の悪いことは忘れて過去を美化している典型だ。
これ以上バカバカしいことがあるだろうか?
相手の愚かさにも過去の自分の愚かさにも呆れ返る。
20万は無事振り込まれた。
どうやって工面したのか、お兄さんにでも借りたんだろうか。
「おれのことは忘れてくれ。あの日記は消しとくけぇ。幸せになれよ」
憐れみを誘うような言い方をされても少しも心は動かなかった。
はい。
私は勝手に幸せになるので私のことを美しい思い出にするのやめてください。
お金が返ってきたことで多少はスッキリしたけれど黙っていたらそのまま踏み倒していただろうし、受けた心の傷は消えはしない。
今の私は幸せだけれどときどき思い出してはモヤッとしてしまうのだ。
もうニ度と誰かの奴隷になんてならない。
そのためにも私は自分自身を手放すことなく、本当に私を大事にしてくれる人を大切にしていきたいと強く思う。
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