【掌編小説】工廠を照らす激しい日光
京橋駅の裏手にある慰霊碑をおがむところから見舞いははじまる。それから公園の随所にのこる遺構をめぐり歩く。中央の大阪城をみあげる観光客はおおく、家族ずれもちらほら見かける。けれども公園内各所に眠る工廠の遺構に注目している人はすくないようだ。にぎやかな広場からしずかな水門跡にうつると、水面をすべる水鳥のむれが視界にはいる。
しばらくむれをなしておよいでいる光景をながめたあと、工場用柵でかこわれた旧守衛所をとおりすぎて古めかしい通用門をぬける。そのさきにはかつて祖父が従事していた旧化学分析場がまちかまえている。色あせた赤煉瓦の壁面に緑のつたをはわせ、駐車場のシンボルとして荒廃にまかせている外観は単なる廃墟にすぎないが、ありし日は砲兵工廠なる厳めしい呼称を用いられていた軍事施設だ。あらゆる窓が黒色のぶこつな板でふさがれているため内部は見えない。八月の大空襲で命をおとすまで、祖父はこの黒い板のむこうで汗水たらしてはたらいていたのである。
わかくして戦死した祖父は写真と逸話でしかしらないので、人物像を想像するのはむずかしい。しかし、八月の激しい日光が木々を照らし、蝉時雨が町をおおいはじめる季節をむかえるとかならず祖父が夢にあらわれた。やせこけた貧相な壮年の男が屹立して、無言のまま憂愁にとざされたまなざしをジッとむけているのだ。口を真一文字に結んでいるので真意はさだかではないが、沈痛な面持ちにはつよい思慕の念がみちていた。その訴えかける視線は夢をかさねるごとに実在感をふかめていった。今では終戦記念日間近になると工廠をかけまわる祖父の息吹すら感じる。そのせいか祖父の死地をたずねても慰霊というよりも慰問する心持ちであり、日ざしをあびている工廠のまぶしさに目を細めながら会釈するさいには、いつも小声で励ましの言葉を口にするのである。
※2016年脱稿・2017年改稿
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