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「イランになんて行かないでほしい」中東のイメージを大きく変えたのは、圧倒的な歴史と人だった

「イランになんて危ないから行かないでほしい」

イラン行きが決まったとき、母に実際言われた言葉である。
イランへ派遣してもらえる研修に合格したと電話で伝えたら(選考を受けたことはもちろん事後報告)、強く反対されたことを覚えている。
「イラン」「イラク」など、似ている名前だし、危ないのでは、と思うのも無理はない。

私も、当時のイランに対するイメージは、
・世界史で習った「シーア派の国」
・「革命が起こってアメリカから制裁を受けている国」
という、一般的なイメージとしてはポジティブはいいにくい要素であった。

中東やイスラムのイメージは、私が大学に入学してから認識が大きく変わったものの一つである。
一番のきっかけは、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルという、
カトリック・セルビア正教・イスラームが交じり合った都市で、モスク(イスラム教の礼拝堂)のおじちゃんたちと仲良くなって話したことである。
(このことはまたボスニアの記事で詳しく書こうと思う。)

イラン渡航前に、おなじイスラム教を国教とするバングラデシュやモロッコには訪れたことがあったが、
中東地域に足を踏み入れるのは初めてで、自分自身も緊張していた。

「イランの首都・テヘランをお散歩」「イランのイスラーム」
「歴史的であり身近な建造物たち」という視点から、イランをご紹介したい。
(あくまで数年前に訪れた一個人の感想です。また、政治関連の内容は、時期によって状況が変わるため、今回はあえて書くのをやめました。)

イランの首都・テヘランをお散歩

私がイラン滞在の約半分近くの時間を過ごしたのが、イランの首都・テヘランだった。
当時の写真と一緒にテヘランを紹介したいと思う。

「イラン」と聞いて、危ないイメージをもつ人もいるかもしれない。
そんな人は、こちらの写真を見てほしい。
イランの首都・テヘランの大きいショッピングモールだが、私たちが週末に郊外のイオンに行くかのように(偏見)、様々な人で賑わっていた。

吹き抜けになっていて、何階もフロアがある。
髙いビルから見下ろした首都・テヘランの街。

イオン、もといイランのショッピングモール内の本屋さんで。
日本の折り紙のようなものが紹介されていた。

発見したSUBWAYのお友達のようなサンドイッチ屋さん。
看板にアラビア文字があると不思議な感じ。

イランは、ザクロの生産でも有名な国だ。
ザクロはイランが発祥と言われており、国土の中心には「ザクロス山脈」があり、ザクロの名前の由来といわれている。
砂漠と高原が多いイランは、乾燥した長い秋の気候・昼夜の寒暖差が大きく、良いザクロの生育条件がそろっているのだそう。

こんな感じでザクロが
日本より身近に楽しめる

街の中には、こんなザクロジュースのお店も!
(写真の上は全部ザクロ…!!!)

ドライフルーツやナッツもたくさん生産しており、ナッツやイチジクが山になっているお店もあった。

ドライフルーツやナッツがもりもり!

観光客向けのモスク(イスラム教の礼拝堂)近くのバザール(市場)では、
観光客向けの様々なおみやげ品を売っていて、人の行き来が多かった。

イランの細やかな模様が描かれた器たち。
ペルシャじゅうたん屋さん。どっさり。

当時のイラン・テヘランは、女性でも一人で歩けるくらいの治安だった。
友人たちや案内してくれた方々のおかげで、
テヘランの様々な場所を訪れることができた。

イランのイスラーム

イスラム教には、分派にスンニ派とシーア派があり、シーア派はイランの多数派を占める一分派である。
そして、シーア派が大多数を占める数少ない国々のひとつとして有名なのが、イランである。

シーア派の特長なのか、毎日の礼拝の中では、この石を使うのだと見せてくれて、実際の礼拝でも床の上に置いて行っていた。

先ほど紹介した石は、この壁の中に入っている。
石を使った礼拝の仕方を、イランの友人に教えてもらう


当時のイランは、中東諸国の中でも、比較的他民族に柔和な姿勢という国だという(現状を追えていないのでこの書き方をしている)。

実際、歴史を振り返ると、イランのそのまた昔、
アケメネス朝ペルシャの始祖で、古代オリエント世界を統一したキュロス2世は、
征服していった国に住む様々な異民族や異文化にも寛大であったと言われている。

イランで外交官になるための大学院に通っている友人たちからは、
アファーマティブ・アクション(注)として、
少数民族(クルド人等)にも外交官の人数が割り当てられており
現にイランの友人の一人はクルド人のアイデンティティを持っていた。

注) アファーマティブ・アクションとは:社会的な要因による差別で不利益を被っている者に対して、実質的な機会均等を実現することを目的として講じる暫定的な措置のこと

クルドに関するニュースのアプリがあるのだと紹介してくれた

また、訪れた時期がちょうどクリスマスだったこともあり、
イランの中にある教会には、クリスマスをお祝いするように、クリスマスツリーが並べられていた。
このように、イスラム教を国教とするイランでも、
普通にキリスト教の教会も、クリスチャンも存在している。

イランの教会

教会の中も、イスラームの建築にキリスト教の壁画が混ざり合っており、とても興味深かった。

歴史的であり身近な建造物たち

イランを訪れた中で、テヘラン、イスファハーン、カーシャーン、コムの4都市を巡った。
その中でも、様々な色合いや大きさのモスクを近くで見ることができたことは、
私の中で本当に大きな財産となっている。

自分が青系の色が好きなことも影響しているかもしれないが、
壁の模様や色合いがとっても好きなのだ。

また、歴史的な建物としてだけでなく、
イスラム教の礼拝所として、
人々が実際に毎日のお祈りをする場所として機能し存在していることも、
歴史と文化と日常がつながっている感じがして味わい深かった。

中に入って天井を見上げるとこんな感じ。

これは少し色合いが珍しいモスク。

茶色で落ち着いている

私は、アラビア文字もうつくしいと思っている。
日本と同じように、「アラビア書道」という、アラビア文字を用いて書かれる芸術があるのだ。

分厚い本

私はまったく読めないけれど、
アラビア語が分かる人にとっては、この模様が文字・情報として認識できることの面白さ、
アラビア語がわからない私にとっても、
流れるような模様がうつくしいなあと思う。

だから、手書きのペンや筆で書かれたアラビア語を見るたびにじっと見つめてしまうのである。

この写真は夜のイスファハーンのモスクだが、
かつてのイランが「イスファハーンは世界の半分」と言われたことを納得するような、
豪勢であり壮大な建物の様相だった。

夜のイスファハーン。

おわりに


「イランになんて行かないでほしい」と言われながらも訪れた、
初めての中東地域でもあったイランであったが、
結果的には、私が抱いていた、イランや中東のイメージを大きく変えた

古くからの歴史の積み重ねの中、
今を生きる人たちが私たちと同じように日々を過ごしつつ、
イスラム教や文化を通じて深い歴史と関わっているような実感を、
そして今回は触れなかったが、アメリカを含む様々な国々との関係の中で、活路を見出そうとしながらも今のある現状での日々を生きる様子を肌で感じた、とても思い出深い場所となった。

何より、一緒にイランを訪れた友人たちは、本当に面白く個性的だと思う人たちだった。

「個性」はそれぞれの背景や意志が織りなされた上で、
安心して自分を出せている状態でより現れるのだろうと思わされるくらい、
それぞれの良さをフランクに尊重できる、そんなメンバーだったと思う。
それぞれ自分の意志で、イランを訪れる前に、中国・ブータン・インド・イラン3回目(!?)・カナダ・イギリスなどなど、色々な国を旅したり住んできたり、様々なことを学んできたり人たちだった。
そういった経験や思い出を聴くのは本当に楽しい時間で、それぞれの価値観や想いにあらわれていたと思う。
一緒に訪れた友人の半分近くが今も海外に住んでいるので、
なかなか直接は会えないが、
大切な友人たちを引き合わせてくれたイランには、心から感謝なのである。

参考文献

Happy Blessing「ペルシャ産(イラン産)のザクロがいい理由」https://happy-blessing.co.jp/f/zacro/persia

NHK「グラフィック:スンニ派とシーア派ってどういうこと?」https://www3.nhk.or.jp/news/special/new-middle-east/sunni-shia/

産経新聞「(54)キュロス2世 寛容を旨としたイランの祖」https://www.sankei.com/article/20130418-NAGMDI5MKJMP5LV6WCJ6TZKTG4/2/

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