バレンタインデーから見る負債論
拙者とは全く縁のないイベントではあるが「世間一般」的にはバレンタインでお菓子業界が盛り上がっている頃合いだろうか?本命ないしビジネスいずれにせよ、日本国内にて多くのチョコレートがトークンとして交換される時期であることには変わらない。同時に、ホワイトデーには”返礼”が期待されるのだが。
ところで皆さんはバレンタインデーのお菓子のみならず、他者からの贈与に対してどう感じるのであろうか?私事ではあるが、小学生中学年頃から所謂貰い物は余り頂きたくない性格だ。理由は大まかに2つある。1つ目は極めて失礼ではあるが単に自身が必要としていないからである。2つ目はどこか負い目を贈り物した方やそれを受け取った自分に対して感じるからだ。ルース・ベネディクトが著書「菊と刀」で言う"恩"(立場が上の者が下の者に与える施し)と"義理"ないしは"義務"(与えられた者への忠誠と彼(女)から与えられた"恩"と同量の施しをする責務)といった関係性であろうか?その際、"恩"は贈与論的文脈から借りとも言えるだろうか?兎にも角にも貰い物を受け取った際は住宅ローンのように形式ばったものではないにしろある種の負債を背負った感覚はある。
ところ変わってデイビッド・グレーバーは著書「負債論」にて行き詰った現代資本主義社会への”処方箋”として債務者は債権者に対して(如何なる事情があったとしても)返済しなけらばならないモラリティからの解放を提言した。同時にグレーバーは"人間経済 Human Economy"と呼ぶ、貨幣が従来とは異なり、他者からどれだけ借入出来ないかのベンチマークとなり、他の誰でもない、一人間を最も大切に扱う経済システムを現行の市場主義的なモノへの代替案として提示した。
グレーバーが同書にて唱えた"人間経済 "への実践として、もし贈与する際に何かの返礼を期待するのであればバレンタインデーにお菓子は配るべきでないし、貰う方もそれを受け取るべきでもないだろう。何故ならバレンタインデーというコンテキストにて相手からの頂き物はある種、チョコの形をした約束手形なのだから…
いずれにせよ、拙者には関係ないから知らんけど。
注;あくまで一素人のおちゃらけたお気持ち表明である。
決して本命が貰えなかった腹いせではない。
後記:こんなことを書きながらもしっかり"返礼の義務"をホワイトデーに果たしました。
参考文献
Graeber, David "Debt The first 5,000 years"
Benedict, Ruth "The Chrysanthemum and The Sword"
佐久間寛編, "負債と信用の人類学 人間経済の現在"
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