理想の父親になることなんてできない。それでも成長し続ける父親が理想なのではないか
人には色んな理想がある。
私にも「父親」としての理想像があった。それは、一家を支える頼りがいのある父親。
よく映画やドラマでも出てくるような、男らしく、妻と子どもたちの支えになっている男性だ。
そんな理想を描きながら、息子が産まれて2か月が経った。正直、現実は理想とは程遠い。楽しいこともあるし、自分に自信を持てることもあるけど、それ以上に大変だったり、妻との喧嘩も増える日々。
昨日は初めて家出をした。本当は夜に帰る予定だったのだけど、どうしても足取りが重く、帰ることができなかった。久しぶりに一人で一夜を明かしたな。
何か大きなことが起こったわけではない。ほんの些細なすれ違いや言い争いが積み重なり、私の中での感情が爆発した感じだった。
今日は昨日の出来事をしっかりと振り返っておきたく、noteを書いている。
自分の気持ちを振り返ると、感情が爆発した要因として、「理想の父親像」を求めすぎていた。それに、自分だったらできるという謎の過信もあったのだろう。
そして、今まで自分に対して優しかった妻が、些細なことでも言い争うことが多くなったことに悲しくなっていたのかもしれない。当然子育てはお互いに初めてだし、一人で生きていける大人よりも、自分の足で歩けない子どもが第一になるのは理解できる。それでも、環境の変化に自分の心の変化が追いついていなかったのだ。
初めての経験だから、本当は失敗だらけでもいいんだ。
けれど、自分だったらできる。常に妻から感謝される環境を作ることができる。そんな小さなプライドがあったからこそ、ちょっとしたぶつかり合いで必要以上に自分を責め、落ち込むことになっていたのだろう。
男性の方であれば、共感してもらえるかもしれない。
男としてのプライド。一家を支え、守る、カッコいい男性像。そんな理想ばかりを追い求めていたのかな。
でも、現実はやっぱり違うのだ。
慣れた掃除や洗濯は簡単にできる。料理もネットで調べれば、作ること自体は難しくない。それでも、日々変わりゆく日常の中で、毎日上手くできるなんてことは無理なのだ。
仕事よりも家事、育児の方が上手くできると思っていた。それは、未経験からくる自己過信であったんだよね。仕事も大変だし、家事、育児も大変。それぞれに、違った大変差がある。それは、自分以外の人が関わるからだ。
人が行う行動は、「自分が良い」と思っている範疇から抜け出せない。相手のことを想像し、相手の求めていることを聞き出し、その通りに行うことはできる。それでも、相手の要望と自分の行動が完全に一致することはない。なぜなら、自分と相手は異なる人間だから。
家族だと他の人に比べて一緒にいる時間がとても長い。お互いのことを知り尽くした感じになる。しかし、何十年と一緒にいても、全てを知り尽くすことはできない。その上で、理解しようとし、共存していく。
改めて昨日の経験から、理想の父親になることは絶対にできないかもしれない。でも、理想の父親に近づこうと日々わずかな努力をし続けることが、理想の父親なのではないか。
矛盾しているようだけど、全てが理想になることはない。けどだからといって、諦めたら怠惰になるのは違う。理想を目指して前向きに進んでいく姿勢が、家族にも伝わるのではないか。
時には、頑張っても非難されたり、受け入れられないこともあるだろう。でもそんな時は、「理想になることはできない。けど、理想に近づくために成長し続けることはできる」。だから、非難されたことは自分を否定されているのではなく、また理想に近づくための糧なのだ。
だから私は今日から理想の父親になることをやめる。
できないことも抜けているところも沢山ある。それでも理想の父親を目指し続ける人を目指したい。
人生は終わりなき旅
どこかで聞いた言葉だけど、この言葉がしっくりくるかも。
これから父親になる方、育児に参加される父親の方は私と同じような経験をされるかもしれない。今までとはことなる環境の変化。最愛の妻の変化。変わらないといけない自分。それらの変化に疲れることもあるけど、失敗し続けながら進んでもいいのだと思う。
今日から気持ちを切り替えて、楽しんでいこう。