音楽を前にして人は平等であるということ
昨年のクリスマスに、夫があるコンサートのチケットを贈ってくれた。私の敬愛する指揮者ダニエル・バレンボイムがパリに来ることを知り、用意してくれたのだ。スメタナの『我が祖国』(Ma Patrie)を、バレンボイム率いる管弦楽団West-Eastern Divan Orchestraが演奏する。
West-Eastern Divan Orchestraは、アルゼンチン系イスラエル人のバレンボイムと、パレスチナ系アメリカ人の文学批評家エドワード・サイードが共同創設した管弦楽団で、イスラエルやアラブ諸国、トルコ、イランといった紛争地域出身の音楽家たちをメンバーとしている。バレンボイムとサイードの共著『音楽と社会』(みすず書房、2004)を読んで以来、この本で触れられていたこの楽団の試みに、私は強い関心を持っていた。
オーケストラの名は、イスラムへの熱意から文豪ゲーテが書き上げた『西東詩集』(West-Eastern Divan)に因んでいる。この管弦楽団は、異文化間の共生や対話を、音楽という実体を通じて具体的にどう実現するかを探る、ある意味、実験場のようなものだ。敵国地出身の演奏家同士が隣り合って座り、一つの譜面台を共有する。同じ強弱、響き、ニュアンス、テンポで、ある方向に向かって、一つの音楽を作り上げていく。この生身の体験が、無知から来る偏見に満ち満ちていた若い参加者たちを次第に変えていく。「そのたった一つの音を達成してからは、彼らはもうお互いを前と同じように見ることができなかった」とバレンボイムは共著で語っている。その過程は新鮮で、本を読みながら心を打たれたものだった。
いよいよコンサートの日が来た。夫と会場へ向かう。とても残念なことに、バレンボイムは健康上の問題から出演を断念。新進気鋭のドイツ人若手指揮者グゲイスが代りを務めることになった。
本公演の前に、小部屋でカンファレンスがあったので参加してみた。演目の理解を深めるために、主催者が企画したものだ。登壇したムッシューを眺めながら、ふと眉毛に目がいった。重力に逆らうかのように天に向かって屹立した眉毛は、まるでフクロウのようである!しかし、この音楽学者のユーモアを交えた熱弁に聞き入るうち、眉毛の存在を忘れた。
スメタナはチェコ出身の作曲家で、当時、オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあったチェコの人々のために『我が祖国』を書いたのだった。同曲は6つの楽曲から構成されている。先のムッシューによると、スメタナはチェコの風景や地形、ボヘミアの歴史や神話などを各楽曲で表現した。首都プラハから少し郊外に出るとすぐにキツネや鹿、リスなどの動物に出会えると言う。自然と人間が共に生きるこの国のあり方を描いているそうだ。1874年から書き始めたが、50代だったスメタナは耳鳴りに悩まされ、作曲中にとうとう聴力を失ってしまう。中断しつつも最後まで書き上げた。ちなみに、耳の聴こえない作曲家といえばベートーベンが有名だが、フォーレもひどい病で聴覚障害に苦しんだと言う。音楽家にとって命の次に大切であろう聴覚を徐々に失っていくという悲劇。その苦しみは想像を絶する。
カンファレンスを出て席につくと、楽団員が次々ステージに現れた。期待が高まる。指揮者が登場し、演奏が始まった。冒頭、ハープ奏者が美しい旋律を奏でる。プラハを流れるモルダウ川に沿って、ゆったりと小舟が下っていくのが思い浮かぶ。留まることを知らない川の流れ。まるで人生のようだ。当時ハプスブルク帝国の支配下にあったチェコの人々が抱いていた「独立への渇望」を思った。迫害された人々の思いや願いなどに考えが及ぶと、今現在苦しんでいるかの国の人々のことを考えずにはいられなかった。
代理を務めたグゲイスの指揮は生き生きとした、でも深みのある素晴らしいものだった。まるでひとつの生き物のように楽団と指揮が一体化して、うねりが起きていた。このうねりに思わず身体をゆだねたくなる。
何より楽団のレベルの高さに驚いた。創設から20年あまりだが、バレンボイムなど一流の音楽家たちに鍛えられながら、世界各地で公演経験を積んできた結果なのだろう。楽団員らが時折見せる微笑が印象的だった。この仲間たちと演奏するのが楽しくて仕方がないといった様子で、楽団全体に良い雰囲気が漂う。公演後の鳴り止まない拍手の中、団員同士が抱き合う姿も感動的だった。まさに私がバレンボイムの共著で読んだ世界だ。仲間とともに極上の音楽を紡ぎだす喜び。海を臨むと自分の存在がちっぽけに感じるのと同じで、音楽を前に誰もが平等になるのだろう。平和とは何か、幸せとは何かといったことを考えさせられた。
私もアマチュアながら音楽に携わる人間として、彼らのようにありたいと心から思った。
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