江戸時代の女子教育の内容とは?古文書『女今川千代見種』を読む
女子用の教育本(往来物)はいくつかあり、『女今川』『女大学』『女中庸』など、どれもタイトルに『女』がついているので、すぐに女子用だとわかります。この『女今川千代見種』は全体の分量も少なくて(全28ページ)、字も大きく読みやすく、簡潔にまとめられたものとなっています。
【解読】
今川※1に准へて自らを
禁む制詞※2の条々
※1今川~今川了俊の今川帖をまねた
絵入りかな書きの女子用往来物
※2制詞~戒めのことば
一常の心ざしかたましく※
女の道明らかならさる事
一若き女無益の宮寺へ
※かたましい~心が曲がっていること
参りたのしむ事
一少き誤とてあらためす
破に至て人を恨事
一大事をも弁なく、打
とけ人に語る事
一父母の深き恩を忘れ
孝のみち疎になる事
一夫を軽しめ、われを
立て天道を恐ざる事
一道に背ても栄ゆる
ものを羨み願ふ事
一正直にして衰えへたる
人をかろしむる事
一遊びに長じ、あるひは
坐頭※を集め、あるひは
※坐頭(座頭)~江戸期における
盲人の階級の一つ
見物をすき好事
一短慮にして嫉妬の心
ふかく、人の嘲を不恥事
一女の猿利根※に迷ひ
万事に付人を議事
※猿利根~こざかしいこと
一人の中言※を企、人の
愁を以て身を楽事
一衣類道具己美麗
を尽、召仕見苦事
一貴も賤も法あること
※中言~双方の間に立って、
一方に他方の悪口を言うこと
を不弁、気随※を好事
一人の非をあげ、われに
智ありと思ふ事
一出家沙門※に対面すと
いふ共、側近なる事
※気随~自分の思いのままに振る舞うこと
沙門~出家者の総称
一我分際をしらず、或は
おごり、或は不足の事
一下人の善悪を弁へ
ず、召つかひやう
正しからざる事
一舅姑に麁末(粗末)にして
人の議を得る事
一継子に疎にして
他人の嘲を恥ざる事
一男たるには仮間近き
親類たり共、したし
みを過す事
一道を守る人を嫌ひ
我に諂らふ友を
愛する事
一人来る時、わが不
機嫌にまかせ怒を
うつし無礼の事
右の條々常に心に
かけらるべき事
珍しからずといえ
ども、猶もつてつつ
しむべき事なり
先、家を守るべきには
こころざし直にして
毎事われを立ず
夫の心に随ふべし
それ天は陽にして
つよく男の道なり
地は陰にして和に
女の道なり、陰は陽
にしたがふこと天地
自然の道理なる故
夫婦のみちを天
地にたとへたれば
夫を天のことく敬
たつとふは、是すな
はち天地のみち
なり、さればいと
けなきより心ばへ
やさしく直なる友に
まじはり、仮初にも
猥がはしく賤き友
に近よるべからす、水は
方円の器に随ひ
人は善悪の友に
よるといふことは実
なる哉、爰をもつて
能家を治る女はただ
しきことをこのむ
よし申伝へけり、人の
善悪を知り給ふ
べきは、其人のした
しむ輩を見て知
といふことあれば
誠にはづかしきと
なり、家を乱す女は
かたましく、気随
なる事を好と
いへば、朝夕われと心
をかえり見てあし
きをさり、善に移り
すすむべし、五常※の
理をうけて生れたり
といへども、あるひは
※五常~儒教で説く五つの徳目
「仁・義・礼・智・信」
善人となり、あるひは
悪人とかはる事、皆
いとけなきよりの
習によるへし、男子
には師をとり身を
修る道をならはし
むるもありといへども
女としては学ぶ者
希なり、此故に女
の法あることをしらす
かたましく邪になり
行こと、誠に口をしき
次第也、幾ほどなく
他の家に行、夫に
したがひ舅姑に仕る
身なれば、父母の許
に止るは暫のうち
なれば、孝行を尽
す事第一なり、面
に白粉をかざり、髪
形を粧ふのみにて
心のゆがみをためん
とする人稀なり、心
ざし直に貪ること
なくは、貧く衰たり
とも恥ならず、邪な
れば富といふとも智
ある人に疎れぬべし
惣てわが善悪をし
らんと思はば、夫の心穏
ならばわが行善と
思ふべし、せはしく短
慮ならば我心正しから
ざると知べし、人を召
仕ふこと日月※の草木
※日月~つきひ
国土を照し給ふごとく
心をめぐらし、その
人々に随てめし
つかふべきなり、穴賢
【現代語訳】
今川を真似て、自らを戒める制詞の条々
(やってはいけないこと!)
一常の志が曲がっていて、
女の道が明らかでないこと
一若い女が無益の宮寺へ参り楽しむこと
一小さな誤りさえも改めず、取り返しの
つかないことになり、人を恨むこと
一大事なことをもわきまえず、
人と打ち解けしゃべること
一父母の深い恩を忘れ、
孝行の道が疎かになること
一夫を軽視し、自分中心にふるまい、
神の意志を無視すること
一道に背きながらも富める者を羨むこと
一正直でありながらも貧しい人を軽蔑すること
一遊びにふけ、あるいは座頭を集め、
あるいは見物をすき好むこと
一短気で嫉妬深く、人の嘲りを恥と思わないこと
一女のこざかしさにはまり、
万事につけ人を悪く言うこと
一どちらにも悪く言うことを企み、
人の悲しむ姿をみて楽しむこと
一衣類・道具で自らを美しく着飾り、
召使いが気の毒なこと
一高貴な者も貧しい者も法あることを
わきまえず、自分勝手を好むこと
一人の過ちを取り上げ、自分は賢いと思うこと
一出家者に会うと言いつつ、親しくなること
一自分の分際を知らず、あるいはおごり、
あるいは不満をいうこと
一下人の善悪をわきまえず、
召使う方法が正しくないこと
一舅姑を邪険にして、人から悪く言われること
一継子を可愛がらず、
他人の嘲りを恥と思わないこと
一男であるからにはたとえ近しい親類で
あっても、親しくなること
一道を守る人を嫌い、自分にこびる友達を
愛すること
一人がやって来る時、自分の不機嫌のまま
怒りを表し、無礼をはたらくこと
右、この條々は常に心にかけておくべきこと
珍しいことではないといっても、
それでもやはり慎むべきことである。
まず、家を守るためには志を素直にして、
いつでも自分中心に考えず、
夫の心に従うべきである。
それ天は陽であり強く男の道であり、
地は陰であり柔らかに女の道である。
陰は陽に従うことが天地自然の道理であるため、
夫婦の道を天地に例えてみれば、
夫を天のごとく敬い尊ぶは、
これすなわち天地の道である。
よって、
幼い頃より心優しく素直な友人に交じり、
一時的にも乱れ品位の欠けた友人とは
親しくするべきではない。
水は方円の器に従い、
人は善悪の友人によって決まるということは、
真実であろう。
こういったことが、よく家をまとめる女は
正しいことを好む理由なのだと、
言い伝えられるのである。
人の善悪を知りたいのであれば、
その人の親しい友人を見て知ることだ
といわれたりするが、
これは本当に恥ずかしいことである。
家を乱す女は心が歪み、
自分勝手なことを好むというのであれば、
いつも自身を振り返り悪い点を反省し、
良いほうへ変えようと努力するべきである。
五常の理を受けて生まれたといっても、
善人となることもあれば
悪人に変わることもあるのは、
みな幼い頃の教育によるものだろう。
男子には師匠をとり、
身を修める道を教えさせることはできるが、
女子では学ぶ者は稀である。
そのため、女にも法があることを知らず、
心が曲がりねじれてしまうことは、
まったく残念な次第である。
ほどなくして他人の家に嫁に行き、
夫に従い舅姑に仕える身であるから、
両親のもとにいるのはしばらくの間だけであり、
その間に孝行することは第一であろう。
顔に化粧をし髪型を整えるだけで、
心の歪みをためないようにする人は稀である。
こころざし素直で満足を覚えることができれば、
貧しく寂しい生活をしていたとしても
恥ではないが、
道理にはずれて裕福になったというのであれば、
智ある人には避けられるだろう。
そうして、自分の善悪を知ろうと思えば、
もし夫の心も穏やかであれば
自分の行いが良いと思うべきであり、
落ち着かず短気ならば
自分の心が正しくないと知るべきなのである。
人を召し使うことは
日々の草木のようなものであり、
国土を照らすように心をめぐらし、
その人々に従って召し使うべきである。
以上、謹んで申し上げる。
【たまむしの独り言】
江戸時代の女子教育の内容は、現在の男女平等という雰囲気とは遠く離れたところにあり、がっかり感は否めません。
ただ、歴史上、日本人は常にこういった考えだったのかという点においては、あくまでこれは「江戸時代では」ということを念頭に置いておいたほうがいいかもしれません。
最近の時代劇や歴史ものは、現代を生きるわたしたちにウケがいいようにと、強い女性が多く描かれているようですが、本当にそうだったのか?と大いなる疑問を感じます。
限りなくノンフィクションに近いものを知りたいと日々思っております。