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概念の夏の写真ver.1.1(2022/09/11)

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概念の夏の写真を撮った。概念の夏の写真だ。概念の夏が撮れた。概念の夏が写った写真だ。風景には光が、突き抜けるような青い空が、夏の雲が、そして生の暗い影が、それらが概念の夏を形成している。

錆びた緑のフェンスの向こうに、セイタカアワダチソウが、群島のように集まっている。背の高いセイタカアワダチソウが、フェンスの向こうに、突き抜けるような青い空の下、暗がりを作り出す高架の下で、光を浴びて、夏の暗さを色濃くしている。

セイタカアワダチソウが夏を暗くしている。セイタカアワダチソウの周りには、セイタカアワダチソウしか生えないから、暗い夏は息がしやすい。

もうすぐ夏が終わる。概念の夏は写真の中で、日に日に概念となるだろう。概念の夏という概念になる。私は何度も写真を見返す。やがてそこに概念だけしか見なくなる。そうして概念の夏の写真は、「概念の夏」の概念の表象となる。

この文章はどこまでも続けることができる。何度でも繰り返すことができる。外来種が繁殖するように、殖え続けていくことができる。すでに見たものをもう一度見る。すでに言ってしまったことをもう一度言う。そのようにしてどこまでも続いていく。

フェンスの向こうの暗い植物が、光を浴びて殖え続けた、そして影を落としている緑が、ローカル線の走る高架の下で群生している。

どこで切断をするか、それが私の署名となる。

止めどもないものが溢れる、陽の光を受けて泡立っている。夏の暗がりを謳歌している。風景の中に私の目はない。概念の夏を見出した私の目は、写真の中には写らない。

夏の終わりの文章をどこまでも引き伸ばす、8月32日へ、そしてその先へ、やがて無意味へと至るまで、セイタカアワダチソウが、俯いた向日葵が並んでいる。夏の写真の彩度が落ちる。次第に概念めいてくる。私の住めない夏になる。

2022年9月10日、滋賀県大津市南小松の近江舞子は、概念の夏の様相を呈していた。2022年、8月41日に、夏の現前を記録した。「それでお前はよろこんでいるのか」、それで私はよろこんでいる。

2022年9月11日、大阪市内は悪い夏。8月42日、日付もひとつの署名であるだろう。地名は土地から剥がれているか。
Tall Gordenrod、Solidago altissima、これらは私にとっての外国語で、キク科アキノキリンソウ属の多年草を指す。個体として複数年にわたって生存する植物である。8月32日の先まで生き延びる。やがて無意味へ至るまで。

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