~いっぺん死んでみる 今を生きるためのワークショップ~を受けてみた
皆さまこんにちは!予防医学士ナースのモモです
これまで本業の看護師としても、プライベートでも、単なる好奇心で数々のセミナーや研修を受けてきました!
せっかくの学び、シェアした方がより深まる!という事が分かったので、自分がこれまで経験してきた事を学びの種として、outputしていきたいと思います!
今回は、先日受けてみたワークショップ「いっぺん死んでみる 今を生きるためのワークショップ」を受けた学びをshareしていきたいと思います(^^)/
講師紹介
今回受けたWSの講師は、エデンの森認定講師 看護師のちなつさん
もともと入っていたナースのオンラインサロンでつながり、そこから仲良くなった素敵なお姉様Nsです(^^)/
もともと9年間大学病院勤務を経て、今は訪問看護師として勤務されています。病院では、主にがん患者さんとのかかわりの中から、お看取りを経験することも多かったそうですが、身の回りの人の「死」には触れたことがなく、「死」は怖いもの、良く分からないものというイメージだったとか。
最期を迎える患者さんに寄り添えているのだろうか、など「死」に対していろいろと疑問を持っていたとき、たまたまこのワークショップに出会い、「死」に対するとらえ方、人生観が変わり、この資格を取ったと話されていました!
きっかけ
千夏さんとは、価値観が似ていたため、もともと、色々とお話しする機会が多かったのですが、千夏さんのブログにてこのWSを開催していることを知りました!
もともと、看護師として勤務していたころは、緩和ケアや、終末期医療に興味があったのと、自分も病棟勤務時代にお看取りをすることが多かったこと、自分の祖母が5月に急に他界したこともあり、今回改めて、何か考えるきっかけになりそうだな、と思い受けてみました(^^♪
こんな人におすすめ
常に「生」「死」と隣り合わせ、命に向き合ってきた医療関係者
自分の大切にしている価値観を見直したい人
「死」ってなんとなく怖い、わからないと感じている人
逆に「死」について、全く考えたことがない人
生きていく中で、それぞれいろいろなもやもやがあると思います。
ただ間違いなく、人生は一度きりなので、どんなことを大切にしていきたいのか、どんな人生にしたいのか、考えることで、より良い過ごし方ができると思います!
生きていく上での価値観を見直したい、人生をより良いものにしていきたい人にとっては、おすすめなワークショップだと思いました(^^)/
ワークショップの内容
簡単に言うと、自分の死にゆく過程の臨死体験をして、残された人生について考えよう!というものです。詳細は省きますが、死にゆく過程の体の変化、精神的変化、周りの人たちの反応や精神状態なども想定して、ストーリ性が高いものになっていました。死の過程については、これまで看護師として、多くの終末期の患者さんを看てきたのでなんとなくイメージがつきやすかったです。
あとは、実際に、自分が余命〇〇年になったら?とか、自分がどんな最期を迎えたいか?自分が大切にしてきたもの、大切にしていきたいものは何か、を考えていきます。具体的に考える機会はなかなかないため、めちゃくちゃ頭を使いましたが、考えるきっかけになりとても有意義な時間でした!!!
学び①大切なものはすでに今手にしている
ワークショップの中で、死にゆく過程を経験してみる中で、「想い出や物や人など、自分が大切にしている価値観を1つづつ手放していく」という作業をしました。それはつまり、大切なものに優先順位をつけて手放していく!ということです。
実際に手放していって感じたのは、大切にしてきた「過去の想い出」や「物」は案外すぐに手放すということ。
そもそも私は、大切にしている人や想い出、価値観は沢山思いついたけど、絶賛断捨離中なこともあり、あまり物理的な「物」に関してはあまり執着がなく、、、、物に関しては早々に手放しました(笑)
そして、最後まで残ったのが「一番身近な人間関係」だったので、やっぱり、自分の価値観としては「人と一緒に居る事」が好きで、人生において、「人の存在」が一番大きいんだなあ、ということに改めて気づかされました!!!
「死」について考えることは、「死」そのものよりも、それまでに「自分が何を残すか、何を大切にしていきたいのか」を考える事の方が大切。そして、その「大切なものはもう既に今手の中にある」ということ。
ワークショップを通じて、それが本当にしっくり来たので、現状に感謝することができ、いつもに増して幸せ感がUPしました
そして千夏さんといろいろと話している中で出たもう一つの結論
「やっぱり物はいらないね(笑)」
さらにミニマリストに一歩近づいた瞬間となりました((´∀`))((´∀`))笑
学び②自分の命に最後まで責任を持つことが大切
「自分はどこまでどんな風に生きていきたいかを考えておく事」
「自分の命に自分で線を引く事」
これが、自分の命へ対する責任ということ。
今の日本の医療現場では、仮に意識を失って、延命治療が必要となった場合、本人の「延命治療をしないでほしい」という意思が確認されない限り、治療をどこまでするかという判断は家族にゆだねられます。
仮に、延命治療によって一命をとりとめたとしても、当事者は意識は戻らず植物状態で、家族や医療従事者間でその後の治療方針についての話し合いがされることもあります。
人工呼吸器は一度付けてしまうと、状態が改善しない限りは外すことができません。そして生きていく上では必ず栄養も必要で、その栄養は点滴でいくのか、鼻から管を入れて補給するのか、胃に穴をあけてチューブを増設するのかなど。
残された家族が、本人の意思を確認していれば検討の余地はあると思いますが、当事者の思いを全く知らないままそのような状況が訪れると、結局は治療の線引きも家族が判断せざるをえないのです。
心に残った言葉の一つ「本当の迷惑は、自分の命の境界線を家族や他人に引いてもらうこと」
これはたしかに。なるほどなあ、、、、と医療従事者としてはもう納得で、軽い衝撃を受けた言葉でした!
まだまだ、日本の文化では「死」についの話は縁起が悪いだとか、タブー化されている印象が強い。もっと、家族の中でそれぞれが「自分が死ぬ時はどうしてほしいか、どこまでどんなふうに生きたいのか」を話し合えるようになればいいのにね!という話にはもうまさにその通りだな。と思いました!
学び③医療従事者として
特に医療従事者の方は、「生きるか死ぬか」の状態の患者さんやその家族のケアをしてきた人も多いと思います。
私も、「延命治療」に関する話し合いの場には多く立ち会ってきましたが、判断をゆだねられる家族の精神的負担は相当なものだ、と感じていました。
家族の判断がつかないから、「先生、どうすればいいですか?何が良いんでしょうか?」と、医療従事者の意見が求められ、医療従事者の中でも、医師、看護師、在宅ケア関係者他、いろいろな価値観があるので、そこでもまた話し合いの時間が生まれます。
医療従事者の精神的な負担の一つが、こういった「他人の命」について頭を悩まされることにある、と思っています。
確かに、当事者の「死」への思いや、自分の命に対する価値観がしっかりと周りにshareできていれば、家族の負担も、医療従事者の負担も減らせるかもしれない、と思いました。
本当に、自分の命を考えるよりも他人の命を考えているわけなので、一つでも、そういった「命の線引き」に関する悩みがなくなれば、現場の医療従事者の負担はだいぶ軽減されると思います。。。もちろんそれだけでは減らないかもしれないけれど、、、、。
最後に、「必要のない医療、無駄な医療が減れば、本当に必要な人へ質の高い医療が提供できる。将来的に考えると、医療費の削減にもつながると思う!もっと気軽に「死」について話せる世の中になればいいよね♪」というお話もあり、
このワークショップには、そんな重大な意味も含まれていたのか!!!!と、終わった頃には頭の中は「イイね」の嵐でした\(゜ロ\)(/ロ゜)/
さいごに
病棟勤務を辞めて約1年半。改めて、「命」「死」について考えるきっかけとなり、とっても有意義な時間を過ごせました<(_ _)>
遺書を書いてみたり、自分の死ぬ時のことを考えると、本当に周りの人たちへの感謝の気持ちでいっぱになり、現状で、そう思えている人生を送れているんだな(^^♪ということも再認識。
もう十分に必要なものは手に入っているんだから、足りないものに目を向けるのではなく、今あるものにフォーカスして生きていきたいなーと思いました(^^♪
そしてやっぱり、自分が最期を迎えるときは、家族に囲まれていたい!朝起きてこないと思ったら死んでた!
くらいにピンコロで逝きたいな~~~(^^♪という思いが強まりました(笑)
人生の最期の時まで、健康第一で楽しく健康寿命を生きたいと思います(*´ω`*)
根本的に、看護や医療とのつながりも深いものを感じたので、ぜひ、このワークショップを、看護師や医療従事者だけでなく、いろいろな人に体験してもらえたらいいなーと思います(^^♪
(↑医療従事者の負担軽減のためにも!!!!!!切実!!!!!)
千夏さん!貴重なお時間をありがとうございました