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作品を作ることはコミュニケーションだ

自分はコミュニケーションが上手くない。
心の内にある想いや苦しさを、口頭で口にするは言葉が見つからなくてすごく難しい。

そんなもどかしさ、苦しさ、気分の悪さをもとにした演劇の脚本を書いた。
観客がすごく気持ち悪くなってほしい、ざわざわしてほしいという気持ちで書いた脚本だった。

それが演出家の目に留まって、舞台化してもらえたことがあった。
役者・演出家・照明や音響スタッフがそれぞれ解釈して作品に昇華してくれた。
役者の解釈や演出家の解釈など、それぞれの思考が入りまじった作品になっていて、自分だけの作品ではなくなっていたことが面白く感じた。
上演された日、客席で観客がどう受け取っているのかを肌で感じながら観ることができて、「作品を受け取る」ということに感動した。

脚本を受け取った人が演劇作品を作り、それを受け取った観客がSNSで感想を書いてくれた。
感想は賛否両論あった。
面白いと言ってくれる人もいれば、批判的なコメントもあった。
脚本家(私)の気持ちを勝手に考察して、投稿している人もいた。

作品を通して、人が思考し、アウトプットしていく、
その流れに自分以外の人間の存在を感じた。
コミュニケーションしていると思った。

別のところで、芸術や表現で誰かを傷つけることはあってはいけないという論争を見た。
自分の作品は傷つける意図はなくても不快に感じる人はいるかもしれない内容だった。
それでも面白いと思ってくれる人がいたり、批判や考察が生まれて、
私は芸術や表現の在り方よりも、そのコミュニケーションが自分にとってはすごく大切に思えた。

作品を通して返ってくる感想・感情、内容によっては気持ちのいいものではないかもしれない。
懐疑的に受け取る人もいるし、批判する人もいる。つまらないと思う人もいると思う。

それでも自分の作品を通して人が思考して、別のアウトプットをしてくれる。
自分にとってはこんなに嬉しいことはないと思う。
私にとっては、作品を作って感想をもらうことが、自分なりの、社会とのコミュニケーションの方法です。


コルクマンガ専科・山田ズーニー先生の授業で書いた文章です。

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