NHKドラマ ワンダーウォールを観て
敬老の日だったような。
買い物から帰ってきて、習慣的にテレビのリモコンの電源を押したら、ちょうど、京都が舞台のドラマが始まったところでした。
青年がスーパーでのアルバイトを済ませて、バスに乗ります。
街はすっかり夜。
窓の外には、ライトアップされた神社の朱い鳥居が見えます。
バスを降り、青年は歩き出します。
足を止めたその先には、古い建物。
入り口にはふんわりと柔らかな灯。
青年の頬がゆっくりとほどけていきます。
その建物は、100年以上続く大学の寮。
青年はそこの住人です。
ここ数年、退去命令を出す大学側と学生自治会とが討論を重ねていました。
どうにか学生たちは住み続けられていたのですが、それももう、限界を迎えようとしていました。
遠い昔、私は、京都の私大を2校受けて見事に落ちました。
だから、ドラマの出だしにあったアルバイト帰りのバスから見える風景を目にして、切なくなってしまいました。
私も京都の私大に受かっていれば、あの風景を見ながら帰路についたのだろうか。
叶わなかった大学生活が目の前に現れたようで、胸が痛みました。
しかし、青年がドラマのなかで同じ寮生たち(20人くらいいそう)と鍋料理を一斉に食べるところを見て、私もあのようなことをしていたから、まあ、やっていることは同じである部分が多少なりともあったのかな、と思い、急に叶わなかった夢との折り合いがつきました。
私は、京都の私大2校にフラれたのち、何となく受けた岡山の私大に合格しました。
そこでの4年間は、ほぼ修行の日々だったのですが、悪いことばかりではありませんでした。
私は大学祭実行本部に入っていました。
大学祭期間中やその前後に、大人数で一つの鍋に入ったおでんやら豚汁やらを食べたり、学生課や厚生課、街の皆さんとうまく話をつけたりつけられなかったりなどをしていました。
ドラマに出てきた学生たちと、うっすら被るような経験をしています。
もう、私には、ドラマの学生たちのように、よくわからない具材でできた鍋料理を、仲が良かったり悪かったりする人々と共に、直箸でつつきまくることはないのだなとか、あの頃、そんな経験ができたのはよかったのかもしれないとか、いろいろ感慨深かったです。
家族以外の人間と濃い時間を過ごすことは、大人になるとほぼ無いに等しくなりますから。
大学4年くらいのこと。
3階の部室にいると、誰かが階段を昇ってくる足音が聞こえました。
その頃、同級生に限りますが、誰が昇ってきているのか足音でわかるようになっていました。
ドアが開いて現れた顔を見て、あまりにも長い時間を共に過ごしたのだな、それももう終わるのか、と複雑な気持ちになったのを覚えています。
大学を卒業して、来年で20年。
大学時代の友人知人とは見事に疎遠です。
もうおなかいっぱいだから、それでいいんですけどね。
もう、足音どころか、街ですれ違っても、誰のこともわからないんだろうなあ。
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