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小人たちのイニシエーション
その男は、遊具の前に立っていた。
住宅地の只中の、小さな公園である。夕日が公園全体に影を落とし、冷たい風が乾燥した砂をわずかに巻き上げる。
一体何が楽しいのか、二本の直立した金属の棒にいくつかの板が渡されたその奇妙な遊具を前に、男は手元のスケッチブックに目をやりながらうんうん唸っている。公園に他に人影はない。男は完全に一人だ。
ただ一人、唸りながら遊具の周りをうろうろする成人男性。蓋し、不審者であった。公園の隅の看板、ゴシック体で書かれた「不審者に注意!」の赤文字が、なおさらその印象を加速させる。
「あの人なんですけど……」
公園の入り口、近所のマダムが男を遠慮がちに指さす。
「ふーむ…。すいません!」
男の背に声をかける制服警官。しかし男は遊具に夢中であった。人の声なんぞ聞こえちゃいない。
「あの、ちょっといいですか?」
警官は声をかけながら男に近づいていく。やっと気づいた男。振り返る。目が合った。なぜか自分に近づいてきている警官。パニック、まさかの逃亡。
「ちょっと!」
警官の側としても、逃げられたら追わないわけにはいかない。夕暮れの住宅街で繰り広げられる不毛な逃走劇。小道を走り、ごみ箱を倒し、塀を超える。上昇する体温、なぜか増えていく追手。犬に吠えられ、屋根を渡る。しかし、所詮は多勢に無勢。ついには囲まれてしまう。
「観念しろ!」
じりじりと距離を詰める警官隊。
何を観念すればいいのかも分からない。絶体絶命。ポケットを探る。右手に触れる冷たい感覚。これしかない。一か八か、男が取り出したものはーー
こんにちは、米三米です。
noteの記事を書くのは、大体一年半ぶりくらいになります。
冒頭の怪文書、後半は完全な創作ですが、前半の公園の不審者は私です。
というのも最近、路上観察にハマっていまして。幸い職質はまだされていませんが、されたとき用に身分証と、警官に渡す袖の下のハチミツのど飴は常にポケットに忍ばせています。
「用途不明の謎の遊具」、「掠れてほとんど読めない張り紙」。路上を彷徨う最中に見つけてテンションの上がるものは数え切れず、その中でも取り分けワクワクするのは、「小さい神社」です。高層ビルの敷地の片隅にぽつんと立つもの、路地の奥に窮屈そうに収まっているものなど、小さければ小さいほどテンションが上がって仕方がない。
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これは先日、マンションの敷地内にこじんまりと併設された神社の賽銭箱の上で見つけたものです。
恐らくはお供え物であろう、みかんが一つにそれよりも一回り小さな石が二つ。みかんはまぁ分かります。食べ物だし。きっとこの時期の神様たちも初詣の疲れを癒しながら、こたつの上に置かれたみかんをもぐもぐと頬張っているのでしょう。そういう意味では非常に気の利いたお供え物であるともいえます。
しかし、なぜ小石が二つ……?
むろん妥当な推論をするのならば、子供がふざけて置いたとか、風で箱が飛ばされないように置いていたとか、理由はいくつも考えつきます。
でも、それじゃあ余りに退屈です。
せっかく路上観察をしているのだから、妄想の翼をはためかせ、その裏に事件の匂いをかぎ取ってみたい。
そもそも、神社に石が供えられている妥当な理由とは何でしょう。
調べてみると、一つ事例が見つかりました。そう、「力石」です。
皆さんも神社に行ったとき、敷地内にやたらとデカい石が置かれているのを見たことがあるかもしれません。(東京だと神田明神とかにもあります)
力石とは何かといえば、まぁ江戸時代に力試しとして広く普及した、重くてデカい石を持ち上げる一種の儀式です。時には若者たちの娯楽として、ときには通過儀礼として。ウェイトリフティングもパンチングマシーンもない時代、大きな石を持ち上げたというのは定番の武勇伝であり、弁慶やら福山正則やら前田慶次も、その手の伝説を残している…らしいです。
そしてそうして持ち上げられた石は、力や勇気の象徴として神社に奉納されることもあったそうな。
では、この二つの小石は一体何なのかーーー
人けのない深夜の神社を、静かに動く影たちがある。
目鼻と口、耳の揃った頭に、ずんぐりとした胴体。そこについた四本の手足。人間とそっくりな姿かたちをしている彼らは、けれど人間よりも五回りは小さい。
「では、始めるがよい」
厳めしく髭を蓄えた個体が、おごそかに儀式の始まりを告げる。
背中に背負った籠に石を入れ、石畳の上を進み始めるのは四人の若者たち。
冷たい夜の風が、彼らの頭上でごうごうと唸りをあげている。
その集団の最後尾を進む、ロイは不安だった。
問題は巨人たちが賽銭箱と呼ぶあの壁である。
命綱はあるとは言え、落ちたら怪我は必至だ。
でもこの儀式を終えないと結婚も出来ないし、かといってこの村を抜けて野良としてやっていくほどの勇気はない。
夜の神社は暗い。前を進む者の背中もろくに見えぬ中を一歩ずつ進んでいく。
考えているうちに、いつの間にか賽銭箱の根元にまでたどり着いてしまった。
他の三人の仲間たちは、もうとうに賽銭箱を登り始めている。
用意されていた命綱を体にくくりつけ、かじかむ指でわずかな突起を掴む。
下は見ない。そんな余裕はない。ただ視界を圧迫する壁を見つめながら、命綱を頼りに一つずつ突起を登っていく。
登るにつれて、風は強くなる。正直、いつ吹き飛ばされて落ちても不思議はない。
「ジュリ!」
上から声が聞こえた刹那……近くを何かが落ちていく気配がした。
慌てて下を見れば、命綱の繋がる先で誰かの体がぶらぶらと揺れている。
幸い、命綱のおかげで激突は免れたようだ。でもあの様子では意識はない。
自分ではなかったという安堵。知らず、突起を掴む手に力が入る。
上を行く二人の姿は、闇に溶けてほとんど見えない。けれど彼らにも自分にも、ジュリを助けることは出来ない。そんな余裕はないし……この儀式ではそもそも、他人を気に掛けることは禁じられている。
なんで、こんなことをさせられなくてはいけないのか。
じわりと、体の奥に何かが広がる感覚。それが形を成す前にけれど、吹き付ける風がロイを現実へと引き戻す。
奇跡的に賽銭箱を登りきると、先に行った二人はロイを待っていてくれていた。
二人に引き上げられて、賽銭箱の縁に立つ。
冷え切った手足は自分のものでないかのようで、ただ指先だけがじりじりと痛む。
でも後はこのまま進めば、目的とする箱が見えてくるはずだ。
「気を付けて進もう」
二人のうちの一人、セリンがそうつぶやいて歩き始める。
賽銭箱の上は、先ほど歩いていた石畳の上よりもなお暗い。自分の足元すらろくに見えないほどに。
何か、とてつもなく嫌な予感がした。
だがそのロイの思考が言葉になる前に、、先を行くセリンの姿がふっと下に消えた。
「動くな!!」
突然大声を出したロイに、もう一人の若者ーアマイは驚いたように固まる。
しゃがみこみ、慎重に手を前に突き出して地面を探る。
するとあるところで、、唐突に地面の感触が消えた。
「セリン!!」
空洞に向けて叫んでも、返る声はない。
命綱はもう外した後だ。この下の暗闇でセリンがどうなっているのか、確かめる術は今の自分たちにはない。
「ロイ……」
アマイが、泣きそうな声で名前を呼ぶ。
「……この賽銭箱の上は、穴が開いているみたいだ。座って、手で地面を探りながら一歩ずつ進もう」
ーーどこまで、僕たちを愚弄する気なんだーー
それはひょっとしたら、ロイが今までの人生で初めて抱く激情だった。そして今回のそれは消えることなく、その胸の中でゆっくりと形を成していく。
「ゆっくり、ゆっくりだ」
一人残ったアマイとともに、一歩ずつ、ただ一歩ずつ慎重に賽銭箱の縁を進む。
どれだけ経ったのかも分からない決死行。二人が辛うじて箱らしきものの縁を超えたときーーいかなる手段によるものか、箱の中には既に髭をたくわえた長老と、お付きの数名が待っていた。
「ふむ、二人か」
背に負った籠をおろしたロイとセリンに、長老が告げる。
お付きのものが、松明に火をつけた。あれだけ彼らを蝕んでいた闇は晴れ、長老の顔が火に照らし出される。
濃い陰影が、歴史が刻まれたその顔が、その目がちらりと、ロイの姿を撫でた。おそらくこの無気力な若者が、ここまで辿り着くとは思っていなかったのだろう。
しかし、彼はまだ気づいていない。その無気力なはずの若者の胸の奥に、いつの間にか瞋恚の炎が宿っていることを。
『小人たちの英雄譚 エピソード0』完
はい、これは完全に私の妄想です。事実はそう、賽銭箱の上の箱に小石が二つ置かれていたということだけ。
しかし、深夜の神社で人知れず行われる小人たちの通過儀礼(イニシエーション)には大きなロマンがないでしょうか?「小料理屋」とかもう、小人のための裏メニューを用意した料理屋にしか見えてこないですよね?
路上観察には、そういう妄想の種がそこかしこに転がっています。
この記事を読んだことで、皆さんの胸の奥にそんな妄想の種が芽吹いていれば光栄です。
最近書きたいことが増えてきて、またちょくちょくnoteを更新しようと思っているのでぜひフォローお願いします。それでは、また。