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川は、気づくと海だった

私はどこに向かっているんだろうか。

去年の終わりくらいから、私の頭の中で度々ひょっこり顔を出してくる問い。
でも、答えられなくてその問いを何度も見なかったことにした。
そんなことを続けていると、心の中のモヤモヤは溜まっていき、時々息苦しくなった。

物心がついて、自分の意志で行動するようになってから、常にゴールが明確だったように思う。
中学受験。大学受験。
自ら行きたい学校を決め、そこに通う自分を現実にするために頑張った。
なぜその学校に行きたいのか、やりたいことが明確だった。

就職活動。
受験の時よりも悩んだし、苦しかったけれど、私の意志ははっきりしていた。
良くも悪くも会社に迎合していなかったため、上手く行かない就職活動に葛藤したけれど、最終的に想いが重なる会社で働くことになった。

10代、そして20代前半の私は、自分がいる環境の中で一般的と言われる選択をし、その選択の中で目標を決めて進んできた。

自分の力で泳いでいるつもりだった。
しかし、私が泳いでいたのは川で、自分の力で泳いでいるようで半分は流れに身を任せていた。

就職して社会人になったら、これまで数年置きにやってきた将来を左右する(と思っていた)ような節目は訪れない。結婚や出産とかライフステージは変わっていくだろう。でも、このまま泳ぎ続ければ理想とするどこかの目的地に到達できる。

つい最近まで無自覚だったが、私は心の片隅でそんなことを思っていたらしい。

そして私が泳いでいた川は、気づくと海だった。
広くて、どこまでも続いている。
流れに身を任せてもどこに辿り着くかはわからない。

前職(新卒で入った会社)の保護者向け説明会で、私は分かったような顔をして「子どもたちは、大人になると社会の荒波の中で生きていくことになります。それまでに、〜〜な力を育むことが不可欠です。」みたいなことを言っていたが、自分もその荒波を生きる一人だということを分かっていなかった。

荒波というほど、私の海は激しくない。
きっと穏やかな海だと思う。

それでも、どこか行きたい目的地があるならそこに向かって力強く泳がなくてはいけない。

目的地はなくてもいい。
それでも、心のままに海を泳ぎ続けるには、心は何を求めていて、何に満たされているのか、自分の心の声と向き合わなければならない。

私はどこに向かっているんだろうか。
すぐに答えを出す必要はないけれど、
日々の忙しさや疲れを言い訳に、見て見ぬふりをするのはやめようと思う。


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