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複数の視点〜郵便局窓口昼休み導入のニュースから考える〜

今朝、朝ごはんを食べながらニュースを見ていると、郵便局窓口に昼休みが導入されていることが取り上げられていた。
全然知らなかった。


昨日、『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』という本を読み終えたばかりだからだろうか。


そのニュースを見て、色々なことが頭を巡った。
この昼休み導入をどう捉えるか、日本のターニングポイントになりそうだなぁとか、大げさなことを考えてみたりもした。

正直、この事象のニュースでの取り上げ方にはモヤッとするところがあった。

会社員だったら、私用で郵便局に行くには昼休みを活用することも多いだろうし、昼休みに窓口に行けないのは困ることもありそう。でも、毎日お昼休みに郵便局に行く訳ではないし、お昼は郵便局も休みと分かっていたら、そういうものだと慣れてしまえば、支障はなくなるのではないか?とも思った。
(郵便局は近隣の郵便局と昼休みの時間が被らないように配慮しているとのこと)

ニュースでは、お昼休み導入を知らずに郵便局に訪れた利用者にインタビューして、「知らなかった」「困る」と言った声をクローズアップしていた。スタジオでは、「昼休みじゃなくて、営業時間を1時間遅らせればいい」というコメントも。

この利用者の目線ばかりに焦点をあてた事象の取り上げられ方に違和感があった。

郵便局側が今回なぜ昼休み導入の判断に至ったのか(少しだけ触れていたがあっさりと終わった)、郵便局で働く人の立場からこのルールをみるとどういった変化がもたらされるのか、利用者としてだけでなく、そういった複数の視点からこの事象について考えたいと私は思う。

『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』、この本は主に働く人からの視点でフィンランドの働く環境について書いている。本を読むとこんな環境羨ましいなぁという気持ちが湧いてくる。
しかし、働く人ではなくそのサービスの利用者や消費者の視点で考えるとどうだろうか。
便利な環境で生きている私にとって、不便さや不自由さを感じることもあるのだと思う。

働く人としてこんな働き方を受け入れてもらっているから、利用者としてもそれを受け入れる、そういう姿勢をフィンランドにいる人たちは持っているのかなぁと想像する。
そういうものだよね、と割り切るところは割り切ることも必要なんだと思う。

働く人としての自由や権利を主張すること、利用者や消費者として、便利さを主張すること、
マクロな視点でみるとそこには矛盾が生じる気がしている。

自分への戒め。


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