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4本ジャ:楽器学習ファクトフルネス

ファクトフルネスという本を、英語の勉強も兼ねて原書で読んだ。良い本であった。自分の世界観をバージョンアップしてくれた。それから巷に氾濫する情報に立ち向かう基本的戦略を確認できた。

現在進行形で世界観を構築している10代、20代の人が読んでもピンとこないかもしれないね。彼らの頭が固くなった頃、もう一度柔らかく戻してくれる本があればいいけど。

この本が言いたいことはすごくシンプルでまともだ。

悪いことばかり目につくけれど、世の中良くなってることも多い。情報と本能に踊らされず、ちゃんと事実を見て前向きに生きよう。

Amazonの批判的なコメントには「知ってた」「当たり前のことだ」などとある。僕はこういう批判を信用しない。頭で分かる(文章の意味を把握し記憶する)と体で分かる(世界観がガラッと変わる)は違う。その違いを知ってる人は「そんなの当たり前。とうに知ってたよ」とは軽々しく言わない。人の話を聞いて「そんなの知ってた」とうそぶく人は逆に頑固で頭が硬い可能性が高い。ついでに思い上がりもありそうだ。

実体験。JavaとかCのツボを後輩に教えた時「知ってますよ(フフン)」などと言うんだけど、そんな奴に限ってまともに問題判別もデバッグもできねえんだよ。全く分かってねーんだよ。(怒)

さてさて、本題に入る前にちょっと寄り道。

この記事を書こうと思ったきっかけの一つは以下のページを読んだことだ。

うつ病の人々は悲観的なのではなく「世界を正しく認識している」のかもしれない(Gigazine)

Gigazineだから記事には真面目にコメントはしない。うつ病の人が見ている世界の方が正しいのでは?という発想は自然ではないか。吉行淳之介もうつ病を患ったことがあり、その頃を振り返って「あの時は本当に苦しかったが、今思えばうつ病の時に見ていた世界は、今よりも正確だったかもしれない」と書いていた。僕も落ち込んでいる時の世界観の方が「ほんとうの」現実を見ているような気がする。

でもね。僕は違うと思う。世界の「ほんとう」なんて存在しない。「正確な世界」もない。鬱の人が正しく見ているわけではない。同じものを見て絶望するか、希望を持てるかの違いだ。絶望する方がまともに思えてしまうのだ。希望を持つ方が愚かに思えてしまうのだ。ファクトフルネスを見て納得がいった。人には絶望し、自分を追い詰め、運命だと諦める脳のクセがある。鬱の人はそのトラップに引っ掛かったのだ。

ようやく本題に入る。(むしろ今までが本題かもしれないけど)

楽器を練習していて「無駄だ」「ダメだ」「上手くなりっこない」「今やらねば!」と焦ってしまう。本能に踊らされているだけだ。落ち着いて上手くなったところを見ればいい。練習していれば、確実に上手くなっているはずだ。

・・・。はずなんだけどね。

上手くなってるかどうか測る術がないのが辛いところだ。全く上手くなってると思えない。たまにふと「あ!オレ上手くなった?!」という瞬間はあるけど、翌日「やっぱ下手かも・・・」となる。

客観的に上手くなったことを知るためには何かを計測したい。何を計測するか。難しい・・・。強いて言えばセッションの参加回数とトータルの練習時間かな。でもむしろ練習の質が重要で、それは計測できないというね。

絶望本能や「辞めるなら今でしょ!」本能に負けずに練習を続けるためには、ファクトを見ればいいんだけど、そのファクトが見えにくい。楽器を続けるのが難しい理由かもしれない。

楽器を続けるコツ。とにかく、絶望しないことだろうね。絶望しないためには?上級者と自分を比べないこと。これ。

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