神が与えし、タイミング
カメラを1人一つは持ち歩く世になり、「自撮り」という言葉が共通言語になって久しい今日この頃。この言葉はもはや自分大好きナルシストさんや、インスタグラマーさんだけのものではなくなった。何を隠そう、芸能人でもインフルエンサーでもない私も「自撮り」派だからだ。
○三人しかいないのに
私の身近でスマホが普及したのは高校時代だ。それまでは圧倒的にスマホは劣勢で、ガラケーもしくは携帯を持たない子供がほとんどだった。では、写真はどうやって撮るのか、もちろん「撮ってください」と誰かにお願いするのである。そんな時、必ずと言っていいほど悲しい事件が起こるのだ。
私だけ、全部目つぶってる…
これが凄いことに、何枚撮っても、何人で撮っても必ず
あやこちゃんは目を瞑ってる写真しかなかった なのである。
○決定的事件
そんな中、最も衝撃的な事件は大学時代の自分の誕生日に起こった。
その頃 飲み屋さんでパースデープランのようなものが流行っていた。あの花火のついたケーキが運ばれてくるやつだ。私の友人は心優しい人ばかりなので、私の誕生日にケーキを用意してくれた。とても嬉しかった。そして、その店では、記念撮影をしてくれるというサービスがあった。どんな立派なカメラマンがくるのかと期待していたが、なんということはなく店の若いお兄ちゃんがやってきて、薄暗い飲み屋さんで、なんの補正もつかない小さなデジカメでパシャリ。 あろうことか一枚しか撮ってもらえなかった。そして、卒業アルバムの集合写真サイズに引き延ばされれた写真の中で、あと1秒で満面の笑みというところでバッチリ目を瞑るアホ面の私×人数分が配布され 全員で絶句した。
○フレームレートが違うんだ
カメラに興味を持つようになって、いろんなことを知った。その中で、「フレームレート」という言葉を知る。これで、私の目をつぶってしまう現象は落とし所を作ることができた。
そう つまりフレームレートが違う。
フレームレートとは 動画を撮るときの一秒間のコマ割り数のこと。パラパラ漫画でいうところの絵の枚数。一秒間に何枚の絵をパラパラするか がフレームレートだ。
そして、これをしっかり調整しないとフリッカーというノイズが入るらしい(まだまだうろ覚え)
パラパラ漫画がめくられるタイミングと、それを切り取るタイミングをうまく合わさることで美しいもの撮れるということ
ということは、
世界が切り取るタイミングと、私が切り取るタイミングが全く相意入れないだから、いつまで経っても私は目を瞑ったままなんだ。(それだ!)
だからフレームレートが違う。
つまり何が言いたいかというと
「私のタイミングに合わせられないなら こっちが合わせてやるしかないじゃん(ドヤ)」ってことです。
今の世の中は羨ましい。綺麗な画質で撮れて、自撮りもできて、補正もできて。今の子どもたちが可愛い子がたくさんいらっしゃるわけだ。きっと可愛く映ったとっておきの写真がいくつもあるんだろう。私はなんて…言わなくてもわかるだろうけど、残せる写真は生まれたての頃だけよ笑(あの頃は超絶可愛かった)
○おしまい
フレームレートなんて専門用語を使ってしまったけれど、理解が間違っていたら恥ずかしい。そんなことを思う一方、この言葉で、腑に落ちたという経緯があるので、これが違っていたら、理解を改めるのは難しいだろうなぁ