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#100.note100日チャレンジ達成!
本日、2025年1月1日、ついに……
note100日チャレンジ達成しましたっ!!
うぉ〜〜!!!!パチパチ!!!
素晴らしい!!ヒューヒューー!!!
とまぁ、心はそんな感じで1人でに盛り上がってます。
なんせ、noteを一回しか書いたことがなかった状態から、いきなり「明日からnote100日チャレンジ始めます!」と勢いも相まって、イベントで宣言してしまった訳で…
宣言したからには、絶対にやり遂げねば!!と気合と根性で進めたのが本当のところ。
人に見せられる文章なんて書いたこともなければ、人が面白がって呼んでくれるような鮮やかな日常や突飛な生活を送っているわけでもなく、、
本当に地味〜〜で、影も薄ければ人からどう見られるかを常々気にして怯えてるような人間でして。
でもnoteを書き始めるようになってから、
日常の些細な出来事や嬉しかったこと、心が動いたことにちゃんと目が向くようになった。
おそらく、noteを書いてなかったら、、と思うことがたくさんある。
そこで、note100日目の今日に、
100日続けて良かったことをまとめてみようと思います!
❶完璧を求め過ぎずに、自分の思いを知ることができた
noteを書く上で、誰かに読んでもらえる文章や、面白い!と思ってもらえる魅力あふれる文章を書くことは絶対的に必要だと思う。
だけども、初めから他者に読んでもらえる文章を!とか、もっと感動されるような文章を書かなくては!などと思ってしまったら、おそらく知識的にも経験的にもまだまだな自分を痛いほど知って、めちゃくちゃに浅いこと書いてしまう自分を責めちゃうんだろうなぁと思った。
そのために、まずは自分が楽しかったことや嬉しかった出来事、過去の思い出話をまとめて書いてみようと決めた。
下手っぴでも、自分の思いをちゃんと言葉にしてみようと何度も繰り返し書くことを続けていくうちに、ちょっとずつ自分の思いに気がつけるようになった。
私は今までずっと、自分の思いに蓋をして生きてきた。そうして、いきなりその蓋を外すことは難しかったし、蓋を外してもすぐに気持ちが分かることはなかった。
でも、書くことで、自然と自分の想いが溢れて、その時の些細な感情の変化や気持ちに気付くことができた。
人からの評価を気にし過ぎなくなったのも、完璧主義を手放して色んなことに挑戦してみようと考え方が変わってきたのも、紛れもなくnoteのおかげ。
❷続けることが楽しくなった
続けることは、何事にも忍耐力が必要だと思う。
自分が慣れていることであれば何の問題もなくいつものルーティーンとしてささっと取り組めるものだけれど、決まっていないことをいきなりこれから毎日続けるゾ!となると、話は変わってくる。
始めたばかりの仕事を不慣れにこなす日々も、慣れない手料理を毎日作らなければいけない状況になった時のあの気持ちも、きっと続けることが大変だと思っている人がピッタリと当てはまって感じたことがある、不安定な気持ちと異常なほどの疲れ。
それだけ、慣れないことを行う時のエネルギーの消費量は半端ない。
細かいことまで考えてしまうし、
効率よく、とは正反対な程に時間が消耗される。
だけど、続けていく日数が増えれば増えるほど、その数が自分の背中を後押しし、自信に繋がっていった。
自己肯定感が低いことを理由に、ネガティブモードに入ると勢いよく負のループに入ってしまう私。
何かできなかったことが一つでもあればショックを受けてしまうし、できなかった自分をひたすら責め続ける。
でもnoteを書くことで、体調が悪く、どんなにだらけてしまった日でも、「でも、noteは書けたしなぁ」と続けていることで自分のできない部分を許すことができた。
できない、じゃなくて、できた、に目を向けることができるようになったの。
これは本当に自分でもめちゃくちゃに良い変化を感じてる。
➌日々に感謝できるようになった
誰かの役に立ってないと、生きてる意味がない。
noteを始める前、私の心の中は、この言葉が中心になって焦ったり、不安になったりしていた。
だからこそ働くことが楽しくて仕方なかった時期もあったし、仕事をすることが自分の生き甲斐で、働けなくなったら、私の人生は終わり、とでも言うくらいに働き詰めの生活を送っていた。お金が、というよりも、自分の存在意義が無くなってしまうことの不安や、社会から見放されてしまうのではないか?という恐怖で追い詰められていた。
考え過ぎじゃん?と言われてしまえば終わりなのだけど、そんなこと言われましても、、考えてしまうのが私という人間で。(とても面倒)
全く働いてない期間中、どうやって仕事をしようか?誰の役になら立てそうか?そんなことばかりを考えている時間が往々にしてあった。
でも、noteを書く中で、毎日の些細な出来事や自分の心情の変化に目を向けられるようになった。
そうして、いつのまにか些細な出来事にもありがたみを感じるようになった。
生きてるだけで偉いね、というようなタイトルの本を見かけた時、これまでなら「訳がわからん。そんな訳がないだろう。」と否定的に捉えてしまっていたけど、
実際は、そうだった。
大切な人が亡くなってしまったとき、生きてさえいてくれれば、と思ったし、会話がままならなくなっても、そこに存在してくれるだけでもう十分。と思えるような人が沢山いたし、
今もそう思える人が身の周りには沢山いる。
誰かに対してそう思うように、
自分に対してもそう思えるようになった。
当たり前のような顔をして、笑顔で働く人を見て、「生きてるだけでも十分頑張ってるのに、働いて笑顔を絶やさずいれるのって、すご過ぎない?」と思えるようになった。
誰かを思いやり、大切に思うことは、自分も同時に思いやり、大切にすることにつながっていたんだなぁと。
最後に…
この100日間、私の投稿を読んでくれた皆さま、
本当にありがとうございました。
そうして、いいねを押してくれたり、面白かったよ、と声をかけてくれた方々のおかげで、日々楽しみながら続けることができました。
脱、3日坊主が出来たのは紛れもなく皆様のおかげ。
note100日チャレンジが終わって、
次は200日を目指したいとひっそりと考えております。。
2025年開幕!
みなさま、今後ともよろしくお願いします🙇♀️🌸