#76. ギャルの哲学
私にはギャルの友達がいる。
以下、彼女をギャル子と呼ぶことにする。
ギャル子は、いつも機嫌がいい。いや、正確には、悩んでいる時も不満を漏らす瞬間にも、どこかご機嫌なのだ。
例えば、普通の人が言う
「もう無理。辛い…」という台詞も、
彼女が言うと、
「もう無理〜☆辛いんですけど〜〜!!☆」
となる。
語尾には必ず☆がつく。これが彼女のスタイルだ。
悩み相談に乗っている時も同じだ。普通なら深刻さが漂うはずの会話が、彼女の場合、どこか楽しげだ。むしろ、これって本当に悩んでる? という気にさえなる。悩みを聞いている側の私が悩んでしまうほどだ。
でも、そこが彼女のすごいところ。おかげで私も気楽に構えられる。
たとえ真剣に話を聞いても、最後には彼女の☆つきの言葉で締めくくられ、なんだか心がキラキラする。
「明るく元気よく」とは、
彼女のためにあるようなテーマだ。
彼女の影響力はすごい。悩みを聞いているはずの私が、いつの間にか元気をもらっていることがしょっちゅうある。
ある日、そんなギャル子がこんなことを言った。
「ってかさ〜?幸せになりたいとか言う人いるじゃん?でもさ〜、幸せになりたいって思った瞬間から、不幸って始まってるくない?☆」
……いきなり深いこと言うじゃん。
確かに。
「幸せになりたい」と思う人ほど、幸せの定義を持っていない気がする。そして、日常の中に潜むささやかな幸せを見落としたり、当たり前と片付けてしまったりするのかもしれない。
幸せの形は人それぞれだ。だからこそ、自分にとっての幸せが何なのかを分かっていないと、終わりのない「幸せ探し」に迷い込んでしまう。
「あの人は自由に遊んでいて幸せそう」
「あの子は美人で幸せそう」
「あの人は高収入で幸せそう」
「あの人は独身で幸せそう」
「あの人は結婚していて幸せそう」
数え始めればきりがない。他人の幸せを眺めるうちに、自分には何もないと思い込んでしまうことだってある。でも、実はそんな人ほど、人と比べることをやめ、自分自身を等身大で認められた時に、
本当の幸せを感じられるのかもしれない。
ふと気になって、ギャル子に聞いてみた。
「ギャル子にとっての幸せって何?」
彼女はこう答えた。
「幸せって、普通だなぁって思えることがあればもう幸せだと思うわ☆まぁでも、普通じゃないなと思うのも幸せではあるんじゃん?☆」
……つまり、普通=幸せ。
普通じゃない=幸せ。
え? ということは、全部が幸せってこと?
ギャル子は今日も笑顔が絶えない。いつも前向きで、明るくて、けろっとしている。
彼女と話していると、「幸せ」というものがとてもシンプルで、でも広がりのあるものだと思えてくる。
普通も、普通じゃないも、どちらも楽しみながら生きていけたらいいな、と私はふと感じた。
ギャル子の☆の魔法に感化されて。