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#69. 好きなことこそ、継続できるように

私は散歩が好きだ。
以前は仕事終わりに夜道を歩くのが日課だった。10キロくらい歩いて疲れ果てたら、おうちに帰ってお風呂に入る。その瞬間が、何よりも幸せだった。なのに最近、気づけばそんな時間を全く作れていない。


他の人からすれば10キロも歩けば「ウォーキング」と呼ぶのかもしれない。でも、私にとってそれは散歩と呼ぶ。特別な目的もない、ただ歩く行為そのものが好きだった。


夜の街に出て、最初は真っ暗な道を五感を研ぎ澄ませながらも感覚を頼りに進む。何も聞こえないような静けさが心地よくて、自分の足音だけが響く。歩き続けるうちに、街灯が増え、遠くに光るコンビニの看板や目を覚まさせるような飲食店のネオンが見えてくる。その景色の移り変わりを眺める時間が、とてつもなく好きだった。

そう、大好きだったのに。
なのに、なぜか今はその時間を作る気力が湧かない。


思えば私は、少しの根性が必要なことには一生懸命取り組めるタイプだ。しんどくても「やるしかない」と思えば、不思議と続けられる。だけど、好きなことや趣味となると話は別。

なぜかその楽しさに没頭する自分を、
心のどこかで否定してしまう。

普通は、好きなことほど自然に夢中になれるものじゃないのだろうか?
でも、私の場合はなぜか逆で、好きなことほど足が止まってしまう。

この間、思い切って自分を見つめ直してみた。
すると、ひとつの答えにたどり着いた。

「好きなことをしている自分=甘えている」
「我慢している自分=頑張っている」

どうやら私は、ずっとこのヘンテコな公式に縛られて生きてきたようだった。

昔から「努力」や「忍耐」が美徳だと信じていたし、それが「自分らしさ」だと思っていた。だからこそ、好きなことをしている自分に後ろめたさを感じてしまう。

でも、本当にそれって正しいのだろうか?

例えば、我慢して頑張っている自分がいくら素晴らしいと思えても、周りから賞賛されても、
それだけで心が満たされるわけではない。

反対に、好きなことをしている自分だって、決して「甘えている」わけじゃない。むしろ、その時間があるからこそ、人は前向きに幸せな気持ちで生きられるのだと思う。

だから私は、自分のヘンテコな公式をこう書き換えることにした。

「好きなことをしている自分=素敵」
「我慢している自分=疲れている」

誰かにどう見られるかより、自分がどう感じるかを大切にしたい。
たとえメイクをしていなくても、髪がボサボサでもいい。外の空気を吸いに行けば、夜道を歩きながら、自分の心が軽くなるのを感じられるはずだ。

散歩をしている時間は、ただの贅沢ではない。
私にとって、それは自分を取り戻すための大切な時間だ。

あの夜風の冷たさや、静かな街の音。アスファルトの乾いた匂い。自分だけの足音が響く感覚。あの大好きだった時間や感覚を、もう一度味わおう。

好きなことに心を向けるのは、甘えでも怠けでもない。むしろ、自分を愛することにつながっているんだと思う。

またあの日みたく、
夜になったら散歩に出かけよう。

きっとまた、あの感覚に出会えるだろう。

自分の好きなことをするための時間は、
単なる甘えじゃなく、
自分を愛せる大事な時間。


好きなことほど、継続できるように。

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