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#101.人の話を聴く、その先に
今年に入って、人の話を聴く仕事―いわゆるカウンセリングのお仕事を始めた。
この仕事を通じて気づいたのは、「人の話を聴く」という行為が、自分の人生をも深く変えていく、ということだ。
そもそも、私は昔から人の話を聴くのが好きだった。どれだけ忙しいときでも、「ねえ、聞いて」と声をかけられると、まるでその瞬間から自分の世界が消えるように、相手の話に全神経を注いでしまう。
相手が私に何かを共有してくれることがとても嬉しかった。だけど、その「聴く」という姿勢を、私は長い間、自分の弱さだと思っていた。
高校生の頃、当時付き合っていた彼のお母さんに言われた言葉が忘れられない。
「あなたって、自分がないわね。何も考えてないの?」
彼女がなぜそんなことを言ったのか、当時の私は全く理解できなかった。ただ、何かに裏切られたような気がして、悔しくて泣いた。それでも、あの言葉は私の中に刺さったまま、ずっと抜けなかった。当時の自分を思い出すと、彼女が言うように、私は誰かの想いに頷くことや共感することはあっても、自分の思いを伝えることは極端に少なかった。
だからこそ、そう言われてしまっても仕方がなかった。
あの頃の自分はいつも「他人ありき」で生きていた。誰かの期待や理想に応えようと必死で、そうすることでしか自分の存在価値を感じられなかった。期待を裏切ってはいけない、その思いが自分の中心にあった。
そして、他人に合わせ、自分を押し殺すことで安心していた。でも、そんな生き方が結局は誰のためにもならず、結果的に自分を壊していくことに気づくのに時間はかからなかった。
そんな私が、今では「人の話を聴く」ことを仕事にしている。それは皮肉のようでもあり、運命のようでもある。
人の話を聴くということは、ただ耳を傾けることではない。
そこには、相手の声にならない思いが流れ込んでくる瞬間がある。その人がこれまでどんな人生を歩んできたのか、どんな痛みを抱えているのか――私はそのすべてを知ることはできないけれど、その断片に触れることで、相手の「今」を感じとることができる。
ある日、理想と現実の狭間で揺れ動く感情に疲れ切ったという女性がカウンセリングに訪れた。
彼女の言葉を聴きながら、涙が込み上げそうになるのをこらえていた。自分の無力さに押しつぶされそうになったけれど、それでも彼女は、私の前で自分の感情を少しずつほどいて話してくれた。
「こんな話をできたのは初めてです。聞いてもらったら、何だか安心して元気が出ました。」と彼女は言った。
その瞬間、私は胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
人の話を聴いていく中で、こちらが救われる瞬間がある。相手の言葉に触れるたび、自分の世界が少しずつ広がっていくのがわかる。
「人の話を聴く」という行為は、相手のためだけではない。自分自身と向き合うための行為でもある。
他者を知ることで、自分が何を大切にしているのか、どんな愛を抱えて生きているのかがちょっとずつ見えてくるのだ。
高校生の頃の私に伝えてあげたい。
「自分がない」なんてことはない。むしろ、人の話を聴けるあなたは、豊かなものを持っている。誰かの言葉に耳を傾け、その人の痛みや喜びに寄り添える心は、決して弱さなんかじゃない、と。
悩みや苦しみに耳を傾けることは、
その人の人生を少しだけ分けてもらうこと。
それに対して、感謝と尊敬しかない。
そして、聴いた分だけ、自分の人生もまた少しだけ深く色付いていく。
私はこれからも、相手の言葉に耳を傾けていきたい。
その言葉の先にある想いに触れるたび、自分の中に新しい光が生まれていくのを感じる。
相手が孤独から少し解放されると同時に、自分もまた「ひとりではない」と気づかされる。その繰り返しの中で、人と人との間に生まれる小さな信頼と優しさは、きっと世界を少しだけ明るくしている。
だから私はこれからも、「聴く」という行為を大切にしていきたい。言葉にならない声に耳を澄ませ、その一瞬一瞬に寄り添いながら、
その人の背負っている重い荷物を少しだけ軽くできるような、そんな人でいれるように。