![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/165636132/rectangle_large_type_2_048ee7d7c9cf16cf6826c13eff94c4db.png?width=1200)
#81. 心が動く瞬間と、幸せを紡ぐ言葉たち
「うわっ、あの人めっちゃかわいい。」
「笑顔が素敵だなぁ、どうしてあんなに輝いてるんだろう。」
道を歩いていると、ふと目に留まる人がいる。そんなときの私は、たぶん夢中でその人を見つめている。きっと、獲物を狙うトカゲみたいな目になっているだろう。それくらい真剣に、相手の表情や仕草に目を奪われてしまうのだ。
相手の空気感、笑い方、仕草、声のトーン、選ぶ言葉――どれもが目の前のその人だけに宿る特別な魅力に見える。そして、その奥に隠れている価値観や思いまでも探りたくなってしまう。
カフェで隣の席の会話が耳に入ってくるときも同じだ。気にしないでいようとしていても、言葉のひとつひとつが気になってしまう。きっと私は、人そのものが放つ何かに強く惹かれているのだろう。
でも、この「人への興味」は私にとって、ただの癖以上のものだ。誰かの素敵な部分に気づくたび、自分の中にも新しい発見があるからだ。
たとえば、あの人の言葉遣いが「いいな」と感じたとき。それはなぜ? と考えると、自分が何を大切にしているのかが見えてくる。私にとって、人を見ることは、自分を知ることに繋がっている。
そして何より、私は「誰かの素敵な瞬間」を見逃さない自信があるし、それが私の小さな特技だと、自分では思っている。
言葉が人を動かす瞬間
今朝、ホテルで朝食を待っているときのことだ。白人の男性が食事を終え、出口へ向かうところだった。彼はホテルのスタッフにこう声をかけた。
「ありがとう。素晴らしい一日を。」
その言葉を聞いた瞬間、私はその場に立ち尽くした。彼の声には、感謝と優しさがあふれていて、まるで音楽のように耳に残った。
日本語で話す彼の言葉に、スタッフの女性は驚いたようだったが、その顔には自然と笑顔が広がっていった。その笑顔がとても明るく、そして美しかった。
彼は胸に手を当てて、静かに一礼し、立ち去った。その仕草ひとつひとつが落ち着いていて、自信に満ちていて、でも嫌味はまったくない。
その場面を見ているだけで、私の心はじんわりと温かくなった。その言葉が私に向けられたものではないのに、なぜこんなにも心が温かくなり感動したのだろう?
おそらくそれは、彼の言葉の力だ。
「素晴らしい一日を。」
たった一言だったが、それはただの挨拶ではなく、彼の本心から出た願いのように感じられた。相手の幸せを願う気持ちが、まっすぐ言葉に乗って伝わってきたのだ。
言葉を伝える勇気
私は、普段こうした言葉をほとんど使ったことがない。誕生日や記念日なら「素敵な一日を」と言うこともあるけれど、日常の中でそんなふうに相手を思いやる言葉をかけるのは、どこか照れくさく感じてしまう。
でも、彼の言葉を聞いて思った。
特別な日でなくても、相手の幸せを願うことは、どんなときだってできる。
私は人の良さに気づくことは得意かもしれない。でも、それを素直に伝えるのは苦手だ。素敵な人に「素敵ですね」と言う勇気がないし、感謝や思いやりの言葉を日常の中で自然に発することもできていない。
けれど、そんな自分を変えたいと思った。
わざとらしく、お世辞のように思われて不快にさせてしまうかもしれない、と不安に思うよりも、
伝えたら喜んでくれるかもしれない、と希望を持ちたい。
「素敵な一日を。」
それは単なる一言で簡単なものだ。
でも、その言葉が誰かの心を明るくする魔法になることを、私は今日間近で見て思い知った。
これからの自分
人を観察するのが好きな私は、これからもたくさんの「素敵な人」に出会うだろう。そのたびに、自分も少しずつ変わっていきたい。
誰かの良いところを見つけたら、素直に「いいね」と伝えられる人になりたい。
そして、特別な日じゃなくても、目の前にいる人の幸せを願う言葉をかけられるようになりたい。
それはきっと、相手のためだけでなく、自分自身を信じる力にもつながるはずだから。
朝食の順番待ちで見たあの短い一瞬の会話は、私の中に新しい風を吹き込んでくれた。
今日もどこかで誰かが、誰かに「素晴らしい一日を」と願い、届けているのだろう。
それを思うだけで、私の一日も優しい思いがふんわりと今日を包み込み、より一層素敵な日になった。
私もいつか、誰かの一日を素晴らしいものにできるような言葉を、自然に届けられる人になりたい。