オタクが楽に死ねると思うな
『春日狂想』中原中也
大学進学を機に東京で一人暮らしを始めた。
山形県の片田舎で育ったクソオタクである僕にとって、東京という場所は本当に楽しかった。大学が秋葉原からそこまで遠くなく、通学途中には中野もあったのでいわゆるオタ活というやつには困らなかった。
大学一年の夏、ゲーセンである男と出会った
「随分渋いゲームしてるね」
懐かしくなってヴァンパイアセイヴァーのアーケードモードをやっているところだった。昔から一回り以上前の世代のゲームをよくやっていた。高校の頃、友人がウルⅣをやっているころ僕はレイレイで天雷破を降らせていた。
そんな僕を物珍しく思った男性が話しかけてきたのだ。のちに「鴉さん」と呼ぶことになる男である。元気かなあ、鴉さんと武威さん
その後、僕は鴉さんがいつも一緒遊んでいるというグループに誘ってもらうこととなる、そこで大切な人と出会うことになる。僕はその人を「姉貴」とか「姉さん」と呼んでいた。いや、そう呼べって言われたからね。
僕は誰かに憧れたことがなかった。世の中にはカリスマと呼ばれる人達がいる。浜崎あゆみに矢沢永吉、ミュージシャンやアイドルといった著名人。多くの人がカリスマの活動に熱狂し、その人の生き様にすら影響を受ける。僕は元々芸能人に興味が薄く、そういった自分の目標にできるような、人生の指針をくれるいわゆる「憧れの人」が僕にはいなかった。小さいころ父はいなかったし、看護師として必死に働いてくれていた母には尊敬こそすれど、いつも申し訳なさがどこかにあった。松本人志が「チキンライス」の歌詞にこめたような、親に気を使っていたあんな気持ちが、クリスマスでなくとも僕には理解できていたし、常に心の端っこに刺さっていた。それでもなんとなく、こんな大人・人間になりたいという理想像だけは、職業とか立場や言葉で表せない霞のような形で頭の中にはあったんだ。
そんな二十歳のぼくの前に腕組しながら現れたのが「姉さん」だった
彼女は僕の頭の中の霞を凝固して、空想の中から飛び出てきたような人間だった。
彼女は僕の憧れと目標の全てだった
彼女のように生きていきたいと思ったし、彼女の背中を追って行けばいいと思った。それが僕という人間の生まれた意味だとすら思ったし、その使命感を超えて、そう在りたいと思った。初めてだったんだ、この人のためなら喜んで死ねると思うほど憧れの人間に出会ったのは。
でもそれももう叶わない
姉さんは僕が大学四年の時に死んだ
愛する人が死んだ時には、自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、それより他に、方法がない。
僕の目はド近眼だけど節穴じゃない。彼女が死に至る病に侵されていることには気づいた。頼むからそんな笑顔で「ダイエット中なんだよね」なんて言わないでくれ。そんな楽しそうにしないでくれ。ドタキャンなんかする人じゃないだろうが。正直に病院に行くと言ってくれ。俺だって精一杯の作り笑顔はするからさ
彼女がもう助からないことは分かっていた。俺の家の合鍵をパクッて鴉さんと武威さんに僕の家を襲撃させてまで、半ば拉致気味に箱根に連行した人が「最近遊ぶ気がおきなくてさ」なんて下手なウソしかつけなくなっていることが苦しくて苦しくて苦しかった。
僕は精神を病んだ。
後に抑うつ病と診断されることになるが、ちゃんと診断を受けたのはこの頃から二年ほど後の話である。キャタピラ米田なんて名前でSNSや現実で多くの人と遊んでいたり、ゲームイベントスタッフとしてアルバイトまでしていた僕が、姿を消したのはこんな経緯があったからだ。別に有名でもないゲーマー一人がTwitterから姿を消すなんてよくあることだけど、当時御世話になった方々や友人には申し訳なかったと思う。
当時ボロボロになった僕を支えてくれたのは、もっと死にかけの姉さんだった。
自分でもおかしな話だと思う。大切な人の側で最期まで気遣い、その遺志をついで生きていくべきだし、それが僕の望む生き方だったはずだが、僕の憧れの人は僕の憧れよりもずっとすごかったんだ。
結局最期まで僕の精神状態を気遣って、僕の部屋を訪れて冷えピタとユンケルを置いていった。玄関先で聞いた「生きろよ」というのが最後に聞いた彼女の肉声だった。それは呪言のようでもあった。
僕は姉さんの死に目を見なかった。葬式にも行かなかった。葬式は向かう途中の電車のなかで過呼吸を起こし、武威さんに香典を渡して逃げた
そんな男死んだほうがいいだろ
奇跡のように人生の見本となる人物と出会い
その人に返しきれない恩があって
それでもなおちゃんと見送ってやらなかった
そんなただのクソ野郎に生きている価値はない
しかしこうやって駄文をネット片隅に投降したのは生き恥を晒してでも生にしがみつき、それでもなお業が深かったからである。そしてなにより姉さんが奇特なことに僕の書く文章のファンだったからだ。
元気かなあ、姉さん。あんたが死ぬ前に一個くらい記事投稿すればよかったね。僕は自己肯定感が低いから、創作活動とか向いてないよ。でも姉さんを見殺しにしたことをネットで不特定多数に白状したからさ、これからは色んなことに恥も外聞もなく挑戦しようと思う。あんたみたいなクソオタクが行く天国にはFreeWi-Fiが完備してあると思うから、暇なときに読んでくれると思ったらエッセイも書きやすいよ。
姉さんを大切な人だと何回も呼んだが、これが親愛や敬愛の感情なのか、あなたに恋をしていたのかはわからない。当時ぐちゃぐちゃだった僕の心は尊敬と異性愛を混同していたかもしれないし、何より今じゃ確認する術がない。でも恋愛として惚れてたらたぶん会ったその日には告白していただろう。それくらい衝撃的な出会いだったけれど、それ以降もそう思わなかったってことは姉貴が兄貴でも等しく大切な人と呼んだと思うよ。すまんね、酔うと偶に婚期についてボヤいてた姉貴よ。一つ言えるのは、僕はこの先家庭を持つことはないだろうということだ。自分自身がこんな男に家庭を守れるとは思えないし、少なくとも今の僕は姉さんより大切な人にはもう出会えないと思ってるから。出会えたとしても、きっと僕はその人を避けるようになるんだろうな。大切だからこそ、こんな奴が側にいちゃいけないと思うんだろう。
あなたを僕の理想の人間像として、あなたみたいになりたいと思い続けることを赦してください。そうやって割り切らなければ僕は自分をゆるして生きていこうとすることができなかったから。せめてあんたの「生きろよ」くらいは守るよ。残りの人生を生きることに費やそうと思う。
中原中也の言う通りだよ。愛する人を失って、自殺するしかなくなった。それでも業が深くてこうやって生きながらえているから、奉仕の心をもってただただ精一杯生きていく。ただただテンポよく、おもちゃの兵隊のように。中原中也は息子を失って『春日狂想』を書き、業が深く生きながらえることをおもちゃの兵隊と悲劇的にとらえたのだろうけれど、僕は姉さんのおかげでおもちゃの兵隊でも幸せです。ただ生きるということに意味を貰ったから。それが玩具で誰かに面白おかしく笑ってもらえるならこんなに良いことはないじゃないか。それに僕が生きているということ自体をうれしく思ってくれる友人や家族もいる。大丈夫、僕はもう「自殺しなけあなりません」なんて思わないですから。
本題
そういえば姉さんが大好きだったハイキューも鬼滅の刃も完結したよ。びっくりしたんだけどさ、今年はスラムダンクが映画化するんだ。すげえよな。ハンター×ハンターはまだ休載中だよ。それはあんたも半分諦めてたからまあいっか。呪術廻戦の狗巻先輩とかあんた好きそうだなあ。スマブラにソラが出たって言っても信じないかな、信じないだろうな。
あんたはゴリゴリのオタクだったけど、どれくらいの後悔を抱えて旅立っていったんだろう。
「悲しいこととは 自分が生きている間に好きな漫画の最終回を読めないことさ」
って、めだかボックスの鶴喰鴎みたいなこと言ってたあんただから、きっと歯が欠けるほど悔しがってるんだろうな。
そもそもオタクは楽に死ねない生き物なんだと思う。
ヲタク的なことだけでなく、趣味に生きる人がそういった意味で後悔なく死ぬことはできないのだろう。ゲームなんて20年でドット絵から実写と変わらないくらいまでになって、最近はメタバース技術や拡張現実も発展して、いつかガチのソードアートオンラインができるんだろう。今見ると結構画質悪いモンスターハンター4でキリトって双剣使いのキッズが大量発生したことが、ガチのSAOで起こるのかもしれない。漫画だっていつも驚かせられてばかりで、まさか金色のガッシュⅡなんて始まるとは思っていなかった。車が好きな人とかは、空飛ぶ車が普通に使われてる未来とか見たいんじゃないだろうか。
そう考えると趣味人が後悔なく死ねる時なんて来るのだろうか
おい、画面の前の君のことだぞ
オタクが楽に死ねると思うなよ。
だからと言って好きなことは止められない。自分が生きている時代を精一杯楽しんで生きなければならない。いつだって自分が生きてきた青春の時代が最高の時間だったと思って、宝物のように大事に抱えて生きて行くしかないのだろう。時には懐古主義とか懐古厨みたいなことを言われても、、まあしょうがないんだ。
いつか来る楽に死ねない時を思って「悲しい思いをするくらいならこの趣味を愛さなきゃよかった」なんて、そんなサウザーみたいな思考をする必要はない。「趣味を知らずに100年生きるよりも、僕は明日死ぬ方を選ぶよ」とポカホンタス的思考で生きたほうがずっといいんだと思う。
だから僕も姉さんと出会ったことを後悔してないよ
確かにあんたと出会っていなったら普通の大学生して、普通に就職して.... 死にたいなんて毎日考える地獄のような日々を味わうこともなかったのだろうけど。
それでも恥ずかしい言い方をすればあの日々は僕にとっての青春で、業深く続いていく僕のこれからの機械的な人生では、あの日々に対する懐古の念が大事になってくるのだろうと思うから。まあ悪くはなかったと思う。今こうして生きてる結果論に過ぎないけれども。大切に毎日思い返していきますよ、姉さんとの青春の日々は
だから僕は、あの春の日を、狂うように想う
キャタピラ米田
これは以前やっていたブログで2022年10月に、鬱から立ち直り一歩目を踏み出すために書いた日記です。
今でも思いは変わらず、自分にとって再スタートの区切りのようなもので、当時の正直な心情を吐露しています。自分が何かを書く上で、そして何より生きていくうえで外してはいけないものです。
人はこれを「過去に囚われている」と呪いのように見るかもしれませんが、例え本当にそうであっても自分はこの重さに押さえつけてもらって、今、地面に立つことができています。