シルバー新報「私の医療・介護物語」掲載していただきました。(第2回目)
介護の文化を創る専門誌、シルバー新報(環境新聞社)様の「私の医療・介護物語」コーナーにて、全3回のエッセイを連載させていただきました。
今回は、第2回目の記事を紹介させていただきます。(掲載元には許諾をいただいています)
以下、本文
安全な環境でなかった家庭
思い吐き出せる場が救いに
「愛せ」という声が社会から聞こえる。「家族を愛し、慈しみ、犠牲になれ」と。犠牲は美しいと。
その声が、私の家族の声と重なってこだまする。私は逃げたケアラーだ。
私の家族は父(理学療法士)、母(元看護師)、姉(精神障害)、兄(難病)と私を含めた5人家族。主なケアは、小学4~5年生から料理などの家事、母や家族の精神面のケアや、姉や兄のフラストレーションを受け止めるというものであった。
姉の状態は良い時と悪い時があり、良い時はふつうなのだが、自傷や自殺未遂をすることもあった。晩御飯どきに母が言った印象的な言葉がある。
「今日は姉がみんなを殺すかもしれないから鍵を閉めてね」
私はショックを受けて反応できなかった。その夜は言う通りに鍵をかけて寝た。
さらに、自殺未遂の際には部屋が糞尿にまみれになり、警察沙汰になることもあった。
こういった家族の一大事が起こっても「家族の支え合い」についての対話は交わされることはなく、むしろ触れてはいけないものという風潮があった。
この家庭は、私や家族にとっても安全な環境ではなかった。
父は「当時一家心中しようと考えていた」と後に語る。
家族の辛さを母親に相談すると、母は「私の遺伝子が全て悪い」と言い不安定になるため、私は精一杯精神面のケアすることが習慣になった。この習慣は
小学生からはじまり、私と母は共依存になった。
精神面のケアでは、母にとっての「正解」を言うと、とても褒められたのだ。私は褒められたくて褒められたくて仕方がなかった。ただし、不正解を言うと叱責された。今思えば母も病んでいたのだと思う。
また、父と兄が歪んだ愛情と心遣いで放った言葉がある。
父「死んでも子どもを産むな」
兄「お前は学が無い。お前の人生の選択は俺がする」
「お前のために言っている」という魔法の言葉は今でも心に刻まれている。
このような家庭だったので、中学生から不眠症や自傷行為などの症状が私に現れた。私にとっての心の支えは、学校の保健室の先生やスクールカウンセラーだった。相談できる場所があったからこそ、自傷行為や希死念慮を少しでも緩和することができたと思う。
家族関係が改善する訳ではなかったが、素直に涙を流せる時間があったのが本当に救いだった。心の傷を認めてくれる環境や、吐き出せる場所が何よりも大切であると私は明言する。
現在も、私は生きづらさを抱え、葛藤している。家族のトラウマと、社会人時代のストレスが影響し、通院が必要になっている。
そんな家族とは、何度かの衝突の末、精神的苦痛に耐えきれず、絶縁することとなった。故郷を失い、友人たちとも連絡ができなくなる犠牲も伴ったが、お互いの安全な距離感を考えれば、この形が最大の家族孝行だと思える。
(続く)
~profile~
・社会課題をテーマに活動する映像グラフィック作家
・映像デザイン事務所CreDes代表
・ヤングケアラーや機能不全家族についてのドキュメンタリー監督
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