いつも、安定した自分でいよう
みなさんには、理想の自分像ってありますか?
私には、あります。
でもその姿って、他人に良く思われるためという外面的な意味じゃなくて、自己肯定感を高めるためにあるんだと思っています。
理想の自分でいられれば、自分に自信を持てるし、自分で好きでいられる。
今日は、そんな私がいつもどんな自分でいたいか、について語る回です。
どんな時でも、態度を変えない
どんな人にも、気持ちの面で波があると思います。
その時の体調とか、人間関係とか、仕事の忙しさだったりで、心が浮き沈みするのは誰にでもあること。
でも、そういう事情って個人的なもので、他人には関係ないのがほとんど。
それを十分理解して、常に安定した自分でいるのが私の理想です。
出勤した時は、誰に対しても笑顔で明るく挨拶できる自分でありたい。
でも、疲れが出てモチベーションが上がらない日とか、仕事が思うように進められなくて余裕がない時とかが、どうしてもあるんです。
そんな時、「いかにも私は機嫌が悪いです」みたいな振る舞いをしてしまう私がいます。
でもやっぱり、その日は後悔するんです。
よくないことだって、わかってるから。
たとえ気持ちが上がらなくても、それは私の問題で、誰のせいでもない。
もう大人なんだから、自分の機嫌はコントロールしないといけない。
感情を表に出すのは、まだまだ未熟だなあと感じてしまいます。
だから、私の理想はどんな時でも、いつもの態度を保つこと。
一人の人間として、多少のことでぶれない、強い自分でいたい。
誰に対しても、平等に
世の中にはいろんな人がいるけれど、広い視野を持って、誰に対しても平等に接することのできる自分でありたい。
外の世界には、おしゃべりな人、消極的な人、要領の良い人・悪い人、さまざまなタイプの人間がいて、「この人とは合わせにくいな」とか「この人を見てるとイライラするな」とか思うわけです。
そう思うこと自体は、ごく自然なことで、悪いことではありません。
性格や価値観、能力の違いって、そういうことですからね。
でもそれを基準に、その人が自分より上か下かという判断のしかたをするようになって、あからさまな差をつけるのは素敵な大人とはいえません。
まったく常識がなく、傍若無人な振る舞いをする人ならともかく、だいたいの人は多少の欠点があっても、根はちゃんと分別があり、他人に対して親切な行動が取れる場合がほとんどのはずです。
だから、その人の短所だけを切り取ってすぐに見下す人は、表面的なことでしか判断のできない、見る目がない人なんだなと思います。
人によって接し方を変える人は、自分の軸を持っていないし、物事の本質を見極める力もないのです。
自身のアイデンティティを確立させている人は、周りにどんな人がいようとそれがぶれることはありません。
そんなこと以前に、大事なことが何か分かっているからです。
ちょっととっつきにくい人に対しても、余裕を見せられれば一流です。
たとえ挨拶を返さない人がいようが、口うるさく小言を言ってくる人がいようが関係なく、あくまで自分は自分、なのです。
例に挙げたような人たちに対しても、何にも気にすることなく、笑顔で挨拶する余裕があるくらいの方が、清々しくてかっこいいですよね。
いつもの自分を保つ、心がけ
私は、人の顔色ばかり窺って、他者の評価でしか立っていられないような、不安定で脆い自分にはなりたくありません。
誰かに冷たくされても、八つ当たりされたとしても、そんな逆境はものともぜず、自分の足で立って歩き続けられる強い自分でいたいと思うのです。
その強さを持っていれば、必ず認めてくれる人はいるし、どのような環境でも独り立ちして、成長していくことができるはずです。
でも、焦らず、無理せず、ゆっくりでいいんです。
力を抜けるときは抜いて、頑張る自分を褒めてあげましょう。
ちょっとした成功を糧に、少しずつ道を歩いていく。
そうすれば、もっと強くなる方法も見つけられる。
自分の力を信じることができたなら、もう十分強いです。
これは、今後も社会でやっていくであろう私自身のために書きました。
立ち止まりたくなっても、また自分で歩けるように。
同じように生きるみなさまにも、少しでも届きますように。