32歳と4ヶ月。4年半付き合った彼氏と別れて、2ヶ月が経った。
大好きでたまらなかった彼とお別れして、2ヶ月が経った。
大好きだった気持ちとか、別れてまだまだ整理のつかない切なさは言葉にして、終わりにした。冷静に、どうしたらよかったのか、何がだめだったのか。考えてもまだ、答えはでない。
この年末年始。
祖父母と会い、両親と会い、妹夫婦と会い、妹と妹の彼氏と会い、従兄弟に恋人を紹介され、たくさん、家族の話をした。
私は両親と仲が悪い。
というより、私は両親が苦手だ。ただ、祖父母や妹、兄弟たちとはこれからも仲良くしたいと思うし、大事に想っていて、この年末年始もたくさん話をした。長く付き合った彼と別れたことを報告すると、みんな「大丈夫だよ、お姉ちゃんなら」と優しく励ましてくれた。みんな、ありがとう。私も思う。大丈夫、私なら。
彼を親に会わせたことはないけれど、いつか会わせるのかもしれない、とは思っていた。まあ、結果的に会うことはなかったわけだけど、想像することはあった。
今回、久々に家族と年末を過ごして、
「どんなに長く付き合ったとしても、ここに彼が来ることはなかっただろうな」と、思った。
「結婚」は、現代の日本において「家族になること」を意味する。
私の家族、特に両親が持つ「家族観」は一般の価値観とは少しずれていて、きっとそのずれは「人それぞれ」の域を越えている。私は、両親が苦手であると同時に、両親が持つ「家族観」が苦手だ。
私の両親は、私の兄弟の恋人たちには必ずその「家族観」の共有を求めるし、幸いなことにその「家族観」の共有を受け入れてくれる恋人たちは、愛され、大切にされている。一方、両親の「家族観」を受け入れられない恋人たちは、それを強要された上、今も可哀想な想いをしている。ごめんね、義弟くん。
私は、大好きだった彼と結婚したかった。
でも、私の家族との家族観の共有はしてほしくなかったし、彼もきっと、受け入れられなかったと思う。
私と彼は、
「友達としては最高。
でも、人生のパートナーにはなれない」
と私たちの関係に結論を出した。
こうして、家族と、別れた彼のことと、いつか欲しい家族のことを考えると、そもそも“人生のパートナー”って何?とも、思う。
私はいつか「家族」が欲しいと思っている。
今、私が知っている「家族」は、苦手な私の両親が作り上げてきた「家族観」による「家族」であり、私がいつか欲しいと思っている「家族」の形は、それとは違う。
相手もいない今、理想の家族の形を明確に描くことはできていない。ただ、「家族」になってくれる人が、私の“人生のパートナー”であってほしいと思う。
いつかきっと作りたい私の「家族」に、子供はいらない。
ペットはいてもいいかもしれない。
常に楽しく笑顔溢れる明るい家族じゃなくていい。
穏やかで、雨が降る日は雨の音が響くくらい静かなのがいい。
でも、家の外で悲しいことや辛いことがあったときに「早く帰りたい」と思える場所に「早く会いたい」と思える人がいてくれる未来を願ってる。
やっぱり、それは彼ではなかったんだろう。彼であってほしかったけれど、違うとわかる。いつかまた、だれかと出会い、関係を育み、家族になる未来を思い描けたとき。今度はそれが叶うと良いな。