先輩方に会いにゆく ~発掘された日本列島2022 見学記
現在開催中の文化庁「発掘された日本列島2022」展。例年、新しい発掘成果などを展示する「速報展」の意味があり、全国を巡回して開催されますが、その中に特集企画の展示があります。今年も「我がまちが誇る遺跡」として3つの事例が紹介されています。そのうちのひとつが、わが富士見町の「井戸尻遺跡群」。
記録的な速さの梅雨明けで猛暑に見舞われている7月1日に、埼玉県立歴史と民俗の博物館に見学に行ってきました。せっかくの機会なので何か感想を、と思ったのですが、結構皆さんがあちこちに感想などを投稿していますので、私は逆の立場「送り出した側」から、書いてみようと思います。とはいえ、別にたいそうな事を書こうというのではなく、感想程度なのですが。
発掘された日本列島2022」展(長いので以後「列島展」)に井戸尻遺跡群の研究と取り組みを紹介する準備が始まったのは、昨年のこと。当初はもう少しコンパクトに、遺跡の数を絞って考えていたのですが、文化庁からの要望もあり、時代も長く、遺跡の数も多く、取り組みの事例もけっこう欲張って取り込むことにしました。
送り出す資料も土器だけではなく、小さな石器から耳飾り、発掘調査報告書やパンフレットまで井戸尻の研究を紹介できるものを選び出すことにしたのです。もちろん、井戸尻から送り出すのですから、土器も「それなり」のものを用意したい、そう思いました。
実は列島展に出品する考古資料には制約があります。国や県の指定文化財(重要文化財や長野県宝)は、外すこと。という事で未指定のものはもちろん、町指定文化財までは出せるのです。「それぞれの時期」の、「いろいろな形」の、「さまざまな用途」の土器を選びました。そしてそれは、井戸尻考古館の研究をものがたる資料であることも大切でした。その結果、ポスターの真ん中に“デン”とあの土器が座ることになったのですね。
見た感想は皆さんが書いてくださっているのでお任せするとして、送り出した側としてココを見てほしい、というところを、ひとつお伝えします。
資料の名前。資料にはキャプションがつけられています。たとえば「藤内Ⅰ式土器」とか「井戸尻Ⅰ式土器」という土器型式名の隣に「双眼五重深鉢」「四方神面文深鉢」など、その土器の名前が書かれています。
実はこれ、驚くべきことなのです。井戸尻考古館では普通に土器に名前がつきますが、他の博物館ではそんなことはありません。井戸尻考古館では毎年各地の博物館に土器をお貸ししますが、行った先ではその事情に合わせて、ただ「深鉢」「有孔鍔付土器」の名前で展示されます。それが今回は、井戸尻考古館での名前がそのまま使われているのです。「みづち」はさすがに認められませんでした。けれどオオサンショウウオではない、という主張は認めていただき、「生物文」という表現になっています。
石器もカッコつきですが(石鍬)とか(靴形鍬)という呼称が付されています。
これはなぜでしょう?展示の中では目立たないように、匂わせ程度になっていますが、図録を呼んでいただくと判ります。井戸尻遺跡群の研究の歴史として「縄文農耕論」や「縄文図像論」を取り上げているからなのです。
それからパネルと図録にも使っている「井戸尻編年」の表には、今回出品している土器が入っています。探してみてくださいね。
まあ、そんなことはともかく、やはり個性的な土器の姿が目を引くのですよね。かつて東京国立博物館で開催された「縄文展」の時もそうでしたが、私はそうっとお客様の様子を観察することにしています。今回の展示はキービジュアルに「双眼五重深鉢」が選ばれ、入ってすぐのケースに収められていることもあって、ここで足を止める方も多いようでした。「こんなの、アリ?」などとささやき合うお客様も。と、ふと見ると、ひとり明らかにハマっている女性がいらっしゃいました。あちこちから写真を撮りまくり、伸びあがったりしゃがんだり、とにかくすべての土器を舐めるように見ています。
怪しがられるかな、と思いつつ、これは話しかけないわけにはいきません。極めて紳士的かつ穏やかに、自ら素性を明かして話しかけてみると・・・やはり、でした。土器づくりなどもされているとのことで千葉県の方だそうです。こういう出会いも嬉しいもの。
さて、タイトルに書かれた、私が会いに行った先輩、とは誰の事でしょうか。それは井戸尻考古館の土器や石器たち。5000年前の作品だから、という事ではなく、私にとっては井戸尻考古館の先輩になるからです(今回は後輩もいました)。なんとなくその存在が重くて「この子が」とか「あいつが」とは言い難いのです。それと同時に文字通り先輩方の仕事を紹介する場でもありましたしね。これから来年2月まで、先輩方(後輩も)は、各地を旅します。お近くに来た時には、ぜひ会ってください。喜ぶと思います。
あ、それからもうひとつ。井戸尻考古館の展示環境はお世辞にも良いとは言えず、むしろ「よろしくない」ものですが、出張先では非常によくしてもらえるので、本当に美しく見えます。「どうだっ!」て感じで誇らしげですね。ところが井戸尻に帰ってくると、また狭いところに押し込められてしまうので、なんだか気の毒にもなります。もっともこれは旅行先の高級温泉旅館から、住み慣れた我が家のタタミの上に戻ってきたと考えれば、井戸尻での土器たちはリラックスしているようにも見えますけどね。
けれどいま、井戸尻考古館展示室では展示替えが進行中です。地震防災を視野に入れた中規模程度の展示替えですが、2008年の「井戸尻発掘50周年記念展」での変更以来の規模になるでしょうか。普段は常設展示している土器が出張すると、土器の場所に「〇月〇日返却予定」などと書かれた写真パネルが置かれたりするのですが、今回出張している土器の居場所は、実はもう既に「ない」のです。井戸尻考古館に帰還した時、きっと「なんか、ちがう!」と思うに違いありません。無事にスタメンに復帰できるのか。ベンチに送られてしまうのか・・・。どうなるかこちらもお楽しみに(笑)。
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