国立国際美術館 特別展「すべて未知の世界へ―GUTAI 分化と統合」~展覧会#26~
GUTAI「分化」と「統合」の二つの展覧会
間もなく終了するこの展覧会だが、訪れたのはもうひと月ほど前のことになる。中之島に隣接する大阪中之島美術館と国立国際美術館がコラボして、大阪中之島美術館では具体を「分化」させ、それぞれの独創の内実に迫り、いっぽう国立国際美術館では具体を「統合」し、集団全体のうねりを伴う模索の軌跡を追う、という展覧会だった。
両方を観覧してやっと「具体」の美術の全貌が完結するはずだったが、私がみたのは、具体の「統合」をテーマとした国立国際美術館だけだった。
展覧会をみて、こんなに長くそのことをnoteに書かなかったのは、今回が初めてだ。ひと月も「感動」を暖めていたわけではない。正直、どう書けばいいのか考えているうちに、「感想」が薄れてしまったというところだ。会期が終わる前に、真剣に振り返ってみたい。
具体とは
「具体」は、画家の吉原治良(1905~72)を中核にして、1954年に兵庫県の芦屋で結成された美術家集団である。正式には「具体美術協会」という。西欧に紹介されて「GUTAI」と呼ばれることもあった。
名称は「具体」だが、具体的なもしくは具象的な美術というわけではない。「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示しよう」という吉原治良の呼びかけが、「具体」の名称の由来だという。
戦後間もない時期、多様な造形表現を目指す美術家たちが吉原治良のもとに集まった。
「具体」の活動は、結成された1954年から始まり、吉原治良が亡くなる1972年まで続いた。「具体」は師弟の縦のつながりが強い団体だったという。その頂点にいた吉原治良の死は、すなわち「具体」というグループの崩壊でもあった。しかしその頃には、「具体」の目指した新しい芸術の裾野が確実に広がり、戦後日本を代表する前衛美術グループとなっていた。
美術展が開かれた2022年は、吉原治良没後50年の節目であった。
作品
国立国際美術館の展覧会場は、一部を除いてほとんどが撮影禁止だった。あとで分かったことだが、大阪中之島美術館では撮影可能な作品が多かったようだ。
「具体」の創設者である吉原治良は、具体美術宣言で「具体美術に於いては人間精神と物質とが対立したまま、握手している」と述べている。感覚としては理解できるが、言葉では説明しにくい。
また「人の真似をするな。今までにないものをつくれ」とも言ったという。
「具体」に所属した芸術家たちは、その言葉に従って、まさに「前衛」を突っ走った。
そこで産み出されたのは、「絵を描く」という狭義的な絵画ではなく、盛り上げ、踏みつけ、突き破る造形であり、さらに立体になり、舞台でのパフォーマンスになり、空間で体験するインスタレーションになった。
「具体」の芸術家たちは、常に求めて実験を繰り返していたのだろう。
この展覧会のタイトルは「すべて未知の世界へ」である。彼らが創造する一つ一つの作品が、未知の世界へ踏み出した足跡なのだ。
国立国際美術館の情報資料室長、福元崇志氏の解説を見つけたので、その一部を紹介しておきたい。
「具体」の時代は、西欧ではカンディンスキーやパウル・クレー、さらにジョアン・ミロらの時代とも重なる。これらの前衛画家たちの作品を前にすると、その色彩やリズムから、私たちはある種の心地よささえ感じる。しかし、「具体」の作品を見ると、理解できない不安や落ち着きのなさを感じてしまう。それは、先の福元氏の解説によると、「作品を何らかの意味に結実させまいとする」彼ら/彼女らの意志のせいであり、また彼ら/彼女らが
「無限に多義的、ゆえに無意味な作品を、様々な方法、様々な見た目で提示」しているからである。
私たちは作品を前にして、その意味を読み取ることを放棄し、ただただ無心に対面するだけでいいのかもしれない。
会期終了まで、今日を入れてあと3日。やはり大阪中之島美術館の展示も観るべきかな。