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大阪市の神社と狛犬 ⑮浪速区 ②崑崙山寳満寺大乗坊~毘沙門天の寺院を守る天保の浪速狛犬~

大阪市浪速区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。浪速区は上町台地の西側、大阪市のほぼ中央に位置します。区の面積は4.39㎢で、大阪市で最も狭い行政区です。区名は、王仁が詠んだと伝えられる古歌「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」からとられました。
浪速区は、長い歴史をもつ「大阪木津卸売市場」や「でんでんタウン」など市内でも有数の商業地域として発展してきました。また、大阪のシンボルといわれる「通天閣」がある新世界など、庶民の町として親しまれています。

浪速区には、神社庁に加盟する神社が4社ありますが、これら以外にも少なくとも5社が確認できます。
今回は神社ではなく、日本橋にある崑崙山寳満寺大乗坊という真言宗の寺院です。前回の羽呉神社から御蔵跡通を西に5分ほど歩いたところにあります。周辺はフィギュアやアニメグッズ、プラモデルなどの専門店が集中する「オタロード」です。なんばCITYからもすぐ近くです。


崑崙山寳満寺大乗坊

■所在地 〒556-0005  大阪市浪速区日本橋3-6-13
■本尊 毘沙門天
■由緒 もと天王寺牛が崎(筆ヶ崎)にあった崑崙山宝満寺の子院で、新坊と称したが、天文(1532~1555)・天正(1573~1592)の頃、再三の戦火を罹り焼失してしまった。大乗坊住持の秀言律師は本尊を奉じて各地を流寓し、本坊が廃絶となるなかで、この難波の地に大乗坊のみ再建を果たした。
江戸時代には「長町の毘沙門堂」として親しまれるが、1945年の大阪大空襲で寺院は焼失する。その後、昭和35年(1960)に本堂が再建される。
本尊の秘仏木造毘沙門天立像(重文)は鎌倉時代の作という。

「オタロード」に面した門のうちに入ると、すぐ左右に石造狛犬や石燈籠が置かれている。現在の建物は戦後復興されたもので、狛犬や燈籠はその時に境内に集められたという。


狛犬1

■奉献年 天保十一庚子年八月建之(1840)
■石工  松屋町 泉彌? 
■材質  花崗岩
■設置  門内

天保11年奉献の浪速狛犬(阿形)
天保11年奉献の浪速狛犬(吽形)
阿形狛犬と燈籠
吽形狛犬と燈籠

狛犬は門柱のすぐ内側に置かれているので、真正面から見ることはできないが、堂々たる浪速狛犬である。台座側面に次のような刻銘がある。

左右台座銘

阿:發起人/田口屋元七
吽:崑崙山大乗坊/院主  儀潭戊/院代  寶教院

また、吽形の台座の尻尾側に、紀年銘と作者らしい名前が見える。「天保十一庚子年八月建之」と書かれた左側に「泉」の文字がはっきりと読み取れる。この時代に、「泉屋(和泉屋)」という屋号を持つ石工は何人かいる。『狛犬の研究ー大阪府の狛犬ー』(奈良文化財同好会)には、この狛犬の作者を「松屋町 泉彌」と記している。阿形の台座に書かれているのだろうか。しかし阿形の台座の尻尾側は狭くて確認できなかった。

吽形台座の紀年銘

もう一度狛犬をよく見てみよう。顔の中央に大きな鼻、その左右に瞳のある丸い目がある。耳は阿吽とも分厚い垂れ耳で、吽形の頭上には角がある。どっしりとした花崗岩製で、足元の彫りもいい。浪速狛犬最盛期の天保期の特徴をよく示している。

天保11年奉献の浪速狛犬(顔結合)
天保11年奉献の浪速狛犬(阿形後ろ姿)
天保11年奉献の浪速狛犬(吽形後ろ姿)

作者の確認が不十分だったことが心残りである。阿形台座の尻尾側には三角コーンなどが置かれていて見ることができないが、吽形台座は植え込みの間からもう少し確認できそうである。次の機会の課題としよう。

境内風景

〈一願空鉢大龍王〉

〈清め不動明王〉

〈B-29 不発弾残骸の一部〉

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