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7月の俳句

いろいろあった参議院選挙
第26回参議院議員通常選挙が公示されたのが6月22日。選挙ポスターが貼られ、選挙カーが町に繰り出してにぎやかになりました。投票日は7月10日。私は早々に期日前投票を行いました。
投票日の2日前に、安倍元首相が凶弾に倒れた事件は、肝心の選挙以上に人々の注目を集めましたね。事件そのものは許せないことですが、これで安倍元首相周辺に漂っていた雲も、うやむやになってしまうのでしょうか。

それはともかくとして、選挙カーが走り回っていた時期は、本来は梅雨のまっただ中だったはずです。ところが早々と梅雨明けが宣言されたりして、今年の梅雨こそ、うやむやの中で終わってしまいました。

梅雨明けかまだ梅雨なのか選挙戦

■炎天
いかにも夏の季語らしい言葉に「炎天」があります。通勤で最寄り駅と職場を往復する片道15分ほどの道のりは、まったく日陰がありません。「ジリジリ焼ける」という表現が、ぴったりの日射しが降り注ぎます。

炎天の影ぞ短き色ぞ濃き

そんな中、学校のグラウンドでは球技大会が開かれていました。元気な声が響いています。

炎天に応援の声揺らめけり

梅雨と炎天という言葉から、今ふと村上春樹に『雨天炎天』という作品があったのを思い出しました。トルコとギリシアの紀行文だったはずですが、内容を思い出せません。書架から取り出して見ました。この夏に読む本の候補に入れておきましょう。

■蝉
家からの通勤路で、小さな川沿いの道を歩きます。川の反対側は高層住宅で、たくさんの木々が植えられています。ある朝、その道を歩いて駅に向かっている時、突然たくさんの蝉が大音量で鳴いていることに気づきました。昨日はそんな蝉の声は聞こえなかったはずです。夏ですね~。

唐突に蝉鳴き初めて梅雨上がる

我が家の庭のわずかな木々でも、早朝から蝉の大合唱が始まります。地面を見ると、ところどころに小さな穴が開いています。木の枝にのあちこちに、抜け殻がしがみついています。7年もの長い間この土の中で暮らした幼虫が、力を振り絞って地上に姿を現すことを考えると、蝉の大合唱が生きることの表現だということがわかります。
そして、7月20日、終業式。子どもたちの夏休みが始まりました。

抜け殻を見つけて気づく夏休み

蝉の穴また一つ増え大暑かな

庭に出て話途切れぬ蝉しぐれ

■祇園祭
今年は、祇園祭の山鉾巡行と神輿渡御が、3年ぶりに執り行われました。祇園祭は、古くは平安時代に疫病・災厄の除去を祈った祇園御霊会を始まりとする、八坂神社の祭礼です。コロナが蔓延する今の時代こそ、必要な祭りなのかもしれませんね。
7月17日には、四条麩屋町で、お稚児さんによる注連縄切りが行われました。注連縄は、神様との結界を示します。これを長刀鉾の稚児が太刀で切ることで、山鉾が神の神域に入ることが出来るのだそうです。

祇園会や稚児の刀の潔き

ハンケイ京都新聞より https://hankei500.kyoto-np.jp/archives/1549

■讃岐の旅
夏休みに入ってすぐ、四国讃岐に旅行をしました。旅行と言っても、小学生の孫たちへのサービスのようなものですが。しかし出かける限り、自分も楽しまなくっちゃね。
淡路島では数年前にキャンプをしたので、今回は高速で通り抜け、一気に鳴門大橋を渡って讃岐国に入ります。
ところで、なぜこの香川県の古称が「讃岐」なのか。気になって調べてみました。
高松藩の中山城山という人物によってまとめられた地誌である『全讃史』(文政11年・1828)には、「四国内の他の国よりもぬきが狭いために『狭緯さぬき』と称した」と書かれているとのことです。「ぬき」とは本来は「織物の横糸」のことで、ここでは東西の距離を指しています。この名称と文字が時を経て『讃岐』となったようです。
そういえば、宿泊した休暇村讃岐五色台の人が、香川県は日本でいちばん小さい県だよと、子どもたちに教えていました。なお、2番目に小さい県は大阪府です。

話がそれましたが、この日、私たちがまず目指したのは女木島めぎじまです。高松港からフェリーで20分、港から見えている島です。この島の別名は「鬼ヶ島」。この名前にひかれて、島に渡ることにしました。島の頂上近くには、「鬼ヶ島大洞窟」があります。大正時代に発見されたこの洞窟は、全長400mもあり、中はひんやりとしていました。

女木島や鬼の洞窟暑気払い

休暇村讃岐五色台は、約400mの高台にありました。車でくねくねの山道をどこまでも上って行った終点が、私たちの宿です。ここから西側に瀬戸内の風景を眺めることができます。岡山県と香川県を繋ぐ瀬戸大橋がかすんで見えます。

西海に沈む夕日のおぼろかな

■小さきものは、みなうつくし
女木島の話に戻りますが、鬼の洞窟探検を楽しんだ私たちは、バスで港まで帰ってきました。しかし高松行きの船の出航まで、まだ1時間以上あります。それぞれが、今度は港近辺の探検です。子どもたちは砂浜で遊んでいました。

小さき貝乗る手のひらの柔らかさ

「何も何も、小さきものは、みなうつくし」と言ったのは清少納言。「うつくし」は古語では「かわいい」という意味ですね。小学生の3人の孫の中で、末っ子は2年生。甘え上手で、どうしてもかわいがってしまいます。

「小さきもの」といえば、夏休みに入って、家族が増えました。

鳥籠のインコかなしや谷崎忌

セキセイインコの「レモンちゃん」です。子どもたちがどうしても飼いたいというので、「Mおじちゃん」が飼っているインコを一羽譲ってもらいました。まだ孵って2ヶ月にもならない子どもです。今まで両親と兄弟といっしょに暮らしていたのに、これからはケージの中でひとりぼっち。手のひらにすっぽりと収まって隠れてしまうほどの小ささで、柔らかな壊れ物みたいな生命です。
「かなし」は「悲し」であると同時に「愛し」でもあります。ひとりぼっちの小鳥の悲しさと、それを愛おしむ気持ちを込めました。たまたま昨日は谷崎潤一郎の忌日。「かなし」い気持ちがどこか繋がる気がしました。

今回も、何とか「7月の俳句」をまとめることができました。私にとって、俳句は「生まれる」ものではありません。やはり意識して「生み出す」ものです。その意識がなければ、言葉を紡ぐことはできませんね。noteに書くという「枷」を自らはめて、来月も頑張ってみます。


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