アジア紀行~インドネシア・バリ島男3人漫遊編④~
迫力のバリ舞踊
バリ島は、毎日島のどこかで祭りが行われているほど、祭礼や儀礼が盛んなところだが、この祭礼や儀礼には、必ず舞踊が伴う。村や寺院には専属のダンサーがいて、バリ・ヒンドゥーの儀式や冠婚葬祭の際には、舞踊やガムランの演奏が行われる。さらに観光用の舞踊が、毎夜各地で催されている。
ウブドの村でも、寺院や王宮、集会所、ホテルなどで、バリ舞踊を毎日のように観ることができる。
「バリ舞踊」と一口に言っても、さまざまな種類がある。レゴンやバリスのような華やかなものから、ラーマーヤナ物語の舞踊劇、バロンやケチャなどの宗教に根ざしたものまで多種多様である。
我々の宿となったウブド・ビュー・バンガロー(UBUD VIEW BUNGALOWS)はウブドの中のパダン・トゥガル(Padang Tegal)という村にあったが、宿の主人から購入したのは、この村の集会場で催されるダンスのチケットだった。
パダン・トゥガル集会場は、宿からハノマン通り(Jl.Hanoman)を北に向かって歩いた途中にある。
開始は午後7時。我々3人は6時15分に宿を出る。会場まで10分とかからない。到着すると、すでに観客が大勢いたが、開始の頃にはその倍以上に膨れ上がっていた。
ケチャ(kecak)は、バリ島に古来から伝わる「サンヒャン」という呪術的な舞踊をベースにして、20世紀前半にバリの芸能として発展したものだ。
「ケチャ」という呼び名は、数十人の男性が円陣を組んで、「チャッ、チャッ、チャッ、チャッ」というリズムを高速で刻むことによる。
ケチャダンスのテーマは、古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」である。「チャッ、チャッ、チャッ、チャッ」と叫ぶ男たちの輪の中央に、ヴィシュヌ神の生まれ変わりのラーマ王子や、女神の娘のシータ姫、猿の神様のハヌマーンなどが登場する。
「チャッ、チャッ」という声が夜空に響き、頭の中にこだまする。時に大きく、時に小さくなる。
続いて大勢の女性が登場して歌う。その後ろで男性のケチャの声がBGMのように続く。2人の若い女性がトランス状態になったように踊る。
最後がファイヤーダンスだ。広場の真ん中に火を焚き、ケチャの男性が左右に分かれる。ファイヤーダンスは別名「サンヒャン・ジャラン」という。「ジャラン(jaran)」とは馬のことで、馬をかたどったものを担いだ男が、素足で焚き火の上を何度も歩く。燃える火を足で蹴り、火の粉を巻き上げてトランス状態に入っていく。そうなると、もう熱さを感じないのだろうか。すべてが終わったあとは、地面に足を投げ出して、じっと動かない。観客は圧倒されて言葉も出ない。
観光用のショーの側面も否定できないが、我々にはない原初的で神秘的な力をこの人たちが持っていることも事実だ。
影武者へ
バリ島最初の夜のダンスは、我々に強烈な印象を与えた。興奮冷めやらぬまま、暗い夜道をたどる。途中、村の家の何軒かで、牛型や獅子型の棺を見かける。
影武者で遅い夕食をとる。主人の伊藤さんに尋ねると、明後日大きな集団葬が行われるそうだ。そういえば、集会場の倉庫のようなところには、いろんな供物がいっぱい用意されていた。
このような葬儀は、4、5年に一度行われるという。一般の人々は単独で大きな葬儀を行う余裕がないので、数年に一度、数十人の葬儀をまとめて行うのだ。このところ毎日いろんな儀式があるらしい。今夜もモンキーフォレストにある寺院の墓地で、土葬していた死者を掘り出したり、形だけ掘りだしたことにして浄めたりするセレモニーがあったそうだ。
バリ・ヒンドゥー
インドネシアは多民族国家で、18,000もの島からなる島国である。当然のことだが、種族、言語、宗教は多様性に満ちている。国民の9割がイスラム教徒だが、その中でバリ島は特異な位置を占める。バリ島の宗教は、昔からあった土着宗教に、ヒンドゥー教、仏教が混じり合ったもので、「バリ・ヒンドゥー」と呼ばれている。
バリ・ヒンドゥーには、ゆるやかではあるが、インドのヒンドゥー教と同じように身分制度(カースト)がある。
カーストの違いによって、名前も言葉も習慣も異なり、葬儀の方法や供物も違ってくるそうだ。
今回の葬儀は、バリ人の90%にあたるスードラの人々のものだが、祖霊を大切にするバリ人にとって、重大な儀式であることは間違いない。
我々は、すごいタイミングでバリ島にやって来たようだ。明日からも貴重な経験ができる予感がする。