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台北中華商場~『歩道橋の魔術師』を読んで~
呉明益『歩道橋の魔術師』
呉明益(Wu, Ming-yi)は、1971年生まれ、台湾の現代小説家だ。中国出身の作家といえば、まず魯迅を思い出す。さらに抗日戦争を描いた『紅い高粱』の著者莫言や、フランスで活動する映画監督でもある『バルザックと小さな中国のお針子』の著者ダイ・シージエなどが思い浮かぶ。いやいや、それぐらいしか思い浮かばないことにショックを覚える。
台湾出身の作家となると、まったくわからない。確か『流』で直木賞を受賞した東山彰良さんが、日本在住の台湾人作家だったはず。しかし『流』はもともと日本語で書かれている。芥川賞作家の李琴峰さんも台湾出身だが、日本語で書いておられる。
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『歩道橋の魔術師』は、2011年に『天橋上的魔術師』のタイトルで台湾で刊行され、日本では2015年に、故・天野健太郎氏の訳で白水社から出版された。
舞台は1980年代初頭の中華商場。台北の中華路沿いに建設された広大なショッピングモールである。表題の「歩道橋の魔術師」から始まって、全部で10編の連作短編集になっている。語り手はかつてこの中華商場を生活の場とした当時の子供たち。彼/彼女たちが回想する中華商場の光景は、まるで靄の向こうを目を凝らして眺めるように、現実と虚構の世界の境目をあいまいにする。歩道橋の上で店開きする魔術師の存在は、今はなき中華商場の不可思議な魅力に拍車を掛ける。
この小説の読後感をひと言で表せば、「Nostalgia」だろうか。かつては大勢の人々の生活の中心であり、今では消失してしまった中華商場がなければ、この小説はなかっただろう。
中華商場
ところで、この小説の舞台となった「中華商場」とはどんなところだったのか。
私が台湾を訪れたのは遅きに失した。80年代に初めて中国に行ったのを皮切りに、アジアの国々を訪れながら、台湾は2006年に行ったのが初めてだった。この時にはもう「中華商場」はなくなっていたのだ。
中華商場が建設されたのは、1961年。都市計画によってたくさんの木造家屋が整理された。
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台北市が新たに建築したのは、旧台北城の西側に当たる中華路に沿って、南北1kmにわたる商業施設だった。
中華商場は全部で八棟あり、それぞれ「忠」、「孝」、「仁」、「愛」、「信」、「義」、「和」、「平」と名づけられていた。ぼくのうちは「愛」棟にあった。「愛」と「信」のあいだには歩道橋がかかっていて、「愛」と「仁」のあいだにもかかっていた。
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当初は独立していた中華商場の八棟の建物は、歩道橋の設置により各棟の2階で直結するようになり、道路を隔てた百貨店や劇場とも連結するようになった。
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あるとき、母さんはやっといいアイデアが浮かんだらしく、ぼくにこう言った。お前、歩道橋で靴ひもと中敷きを売っておいで。子供が売ってりゃ、みんな買うだろう。
歩道橋の上には物売りがたくさんいた。アイスクリームや包みパイ(焼餅)、子供服やワコールの肌着、あとは金魚、亀、すっぽん・・・・・・それに「海和尚」っていう真っ青なカニを売っているのを見たこともあった。
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中華商場の東側には片側3車線の中華路があり、西側にも南向きの車道があって、台湾鉄道が走っていた。
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歩道橋の魔術師
母親の言いつけで歩道橋の上で靴ひもと中敷きを売るようになった「ぼく」の向かい側で、ひとりの男が商売の準備を始める。
男はべたついた髪の毛に、襟を立てたジャケットと灰色の長ズボンといういでたちで、ジッパーも靴ひももないジャンプブーツを履いていた。
(中略)
「違うよ、わたしは魔術師なんだ」男はぼくにそう宣言した。
(中略)
男はトカゲみたいに左右に離れた、二つの場所を同時に見ているような目でぼくを見た。ぼくの体はブルッと震えた。
ぼくは毎日、魔術師が行う奇跡のようなマジックを見て、マジックの道具がたまらなく欲しくなる。ついに売り上げのお金を使って、マジックの道具を次から次へと買ってしまう。もちろん母親にばれて、ビンタを食らうのだが。
魔術師のマジックの中で特に印象的なのが、黒い紙で作った小人のダンスだ。
ぼくは毎日、黒い小人のダンスを心待ちにして、靴ひもと中敷きのことなんてすっかり忘れた。靴ひもは鉄の欄干に結ばれたまま、風に吹かれてひらひら揺れた。今思い出しても、それはとても美しい光景だった。
中華商場は3階建てだったが、屋上にネオンの巨大な広告塔があった。とりわけ目立ったのが、「信」棟南端にそびえる「國際牌」の巨大な四面ネオンだった。
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そのとき、ぼくらは第五棟にいた。屋上の端っこには〈國際牌 National〉の巨大な四面のネオン塔が乗っかっていた。この看板はすごかった。(中略)これは当時、台北でもっともイカした広告だったはずだ。
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ある夜、仕事を終えた魔術師は、ぼくを手招きして商場の建物の屋上に連れて行った。屋上に立つネオン塔の足元のくぼみを指さして、彼は言った。
「ここで眠ってるんだ」
それは「黑松沙士」の巨大なネオンサインだった。「黑松沙士」とは台湾コーラとも言える炭酸飲料である。
魔術師はときに哲学的なことを言う。「ぼく」にはよくわからないが、その言葉は読者にも投げかけられている。
「小僧、いいか。世界にはずっと誰にも知られないままのことだってあるんだ。人の目で見たものが絶対とは限らない。
(中略)
ときに、死ぬまで覚えていることは、目で見たことじゃないからだよ」
中華商場の終末
建設当時、白亜の建物であった中華商場も、年を経て古びてしまった。店舗と住居を兼ねた巨大ショッピングモールであったが、やがて他の商業エリアに客を奪われ、施設は老朽化し、住環境は悪化していく。ついに市は地下鉄建設工事に合わせて、全棟を解体撤去することを決定した。1992年のことである。
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作者呉明益は、1971年この台北で生まれ、21歳まで中華商場で過ごしたという。両親は「愛」棟の1階で靴屋を営んでいた。
彼と同世代の子供たちが小学生だったころの1980年前後の思い出が、この書の中にちりばめられている。家族、友情、恋愛、失意、喪失、死・・・。人生において大事なものが、その時には決して気づかなかったものが、今なら見える。
夢のようにはかなく、羽毛のようにあたたかい物語、それが『歩道橋の魔術師』だ。
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お読みいただき、ありがとうございます。
呉明益『歩道橋の魔術師』を読み終えて、台北にかつて存在した「中華商場」のことがとても気になりました。ウェブで検索したところ、台湾の李志銘氏の「中華商場的時代地景(上・下)」に当時の写真が多数掲載されていましたので、拝借いたしましたことを、ここにお断りいたします。
またYouTubeに、張哲生氏作成の「中華商場的興衰(1961-1992)」があります。
◎『歩道橋の魔術師』の収録作品は次のとおりです。
歩道橋の魔術師
九十九階
石獅子は覚えている
ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた
ギター弾きの恋
金魚
鳥を飼う
唐さんの仕立屋
光は流れる水のように
レインツリーの魔術師
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