2024年7月の俳句と歌
呼吸器内科退院
7/1。2024年もこの夜中で折り返し、今日から後半に入った。
肺に病変が見つかった私が入院したのは、もちろん呼吸器内科だったが、胸水を検査したところ、大腸があやしいということになり、大腸の内視鏡検査をすることになる。
すでに国立循環器病研究センターでPET-CT検査も行っていて、特に異常はなかったはずなのに……。
というわけで、人生初の大腸内視鏡検査を受けた。
経験のある方は少なくないたろうが、下剤から始まって、結構つらい検査ではある。
本番は最初麻酔が効かず、痛みに声を上げたが、次に目が覚めたときは、自分の病室のベッドの上だった。
結果は異常なし。
肺に異変が現れているものの、「がん」の大元がどこなのか分からないという。最終的な病名は……
原発不明がん
さんざん検査をしてきたのに……。
さて、今日7/1は「半夏生」。太陽の黄経がちょうど100度になった日で、夏至から数えて11日目頃からの5日間の時期を指す。
ひと通りの検査が終わったので、3日後の退院が決まる。
退院前夜の病院夕食はチキンカツだった。
7/4、退院。といっても、4日後には再入院が決まっている。一時帰宅のような感じだ。
久しぶりの我が家。孫たちと直接顔を合わせるのも久しぶりだ。いちばん下の孫が抱きついてくる。
体力がないので、ほとんど横になって過ごす。胸の痛みも消えない。
再入院、いきなりの異変!
7/8、再び市民病院に入院。前回は検査入院、今回は治療入院だ。
原発不明がんとはいうものの、大腸らしき検査結果もあったので、7階の呼吸器病棟から8階の消化器病棟に移る。
採血、採尿、化学療法の詳しい説明、腹部CT検査など、慌ただしく時間が過ぎていく。
やっと落ち着いたと思われた夕方、思いもしない宣告があった。
……急性膵炎ですね。血液検査の結果、膵臓のアミラーゼの値が異常に高いし、腹部CT検査の画像を見ると、膵臓が大きく腫れています。この状態では化学療法に入れないので、まずは膵炎の治療を優先します。今夜から数日は食事抜きで、点滴のみになりますよ。
急性膵炎については、まったく自覚症状がなかった。胸の痛みは相変わらずだが、腹部には特に痛みはない。
再入院早々から膵炎治療に入る。しばらく食事はなし。もっぱら点滴に頼ることになる。
この機会に、このところ右眼の視野に幕がかかり、ずっと気になっていたので、眼科で診てもらうことになった。
翌7/9、眼科受診。午前午後2回にわたり、長い検査が続いた。結果は、右眼網膜剥離。原因は確定できないが、がん細胞の可能性が高いという。放っておくと失明のおそれがあると、警告される。すぐに放射線治療に入ることになる。事態の急激な進行に、頭がついていけない。
夕方、放射線科で治療についての説明を受ける。土日祝を除き、連続10回、右眼の脈絡膜付近に放射線の照射をするという。
まず、顔面を固定するマスクを作る。型取りをして1時間後、1回目の放射線照射を行う。かたい台に横たわり、先ほど作ったマスクで頭を固定する。照射時間は15秒か20秒ぐらいだ。もうなされるままに従うしかない。
運命に翻弄されるとは、こういうことを言うのだろうか。
それはそうと、1週間前の大腸内視鏡検査の日から便秘が続いている。思うに任せないことだらけだ。
7/10、再入院3日目。血液検査の結果は良い方向に向かっているようだ。膵臓の異常値が徐々に回復しつつある。このままいけば、明後日から抗がん剤の化学療法に入れそうだと言われる。
胸の痛みがひかないことを訴えると、明日から強力な痛み止めの「麻薬」を服用することになった。
抗がん剤化学療法に入る❗
血液検査の結果が出るたびに、膵臓のアミラーゼの数値が正常値に近づいているのがわかる。
予定通り、7/13から1回目の化学療法が始まる。ただし用心して、規定量の80%の薬の投与となる。
さまざまな副作用の可能性を説明されると、それらすべてが自分に襲いかかってくるようで、疑心暗鬼になる。
実際のところは、吐き気に悩まされ、胸に圧迫感がある。食欲もなく辛かった。
化学療法は48時間点滴が続く。膵炎用の点滴は終了し、膵炎対応の病院食になるが食べられない。急速に体力と気力が低下している気がする。
7/14には姪の結婚式があったが、残念ながら行けず。
7/15は妻の誕生日。面会時に持って来てくれた小さなケーキを食べる。
この日、やっと1回目の化学療法が終わり、点滴から解放される。
この間ずっと便秘が続いていたが、ついに屈して座薬を入れる。強制退去宣告だ。なんと2週間も居座っていた。
回復への道
力の入らない日が続く。看護師さんが心配して、リハビリの提案をしてくれる。
7/18から毎日20分ほどのメニューでリハビリ開始。長らく歩いていないので、最初は足元がおぼつかない。
病院4階には広くて充実したリハビリ室かあり、驚いた。見るからに、自分より重篤な患者さんが頑張っている。
1日2回の廊下歩行も始める。動くと息切れがするが、足はほぼ問題なさそうだ。
7/22は、二十四節気の「大暑」だった。病院内は空調が万全で、外の酷暑が想像できないが、リハビリの自転車漕ぎで久しぶりに少し汗をかく。
朝方、窓から外を眺めていると、何かが視界を横切った。燕だ。生き物の姿を見るのが新鮮な気がする。
毎日、窓から外をよく眺める。ここは8階なので眺望もよい。昨夜は満月だった。ほぼ正面の東の空に、生駒山からまんまるの月が昇る。
7/23、10回続いた右眼放射線治療が終了した。この治療がどんな効果をもたらすのかは分からない。右眼の視野の暗さや歪みはさらに広がり、左右の目に見えるもののバランスが悪い。
約束どおり、マスクをいただく。
4階のリハビリ室の外に屋外庭園がある。久しぶりに外の空気を肌に感じる。
7/24は土用丑だった。とは言っても、病院食に鰻が出ることはない。相変わらずの膵炎対応食で、味気ないことこの上ない。
運の悪いことに、窓の向こう、JRの線路沿いの道に面して鰻屋らしき店が見える。これは罪だ!
朝、回診の看護師さんが、蝉がうるさいほどに鳴いていると教えてくれる。病室の窓は10cmほどしか開かないが、その隙間から蝉の声が湧き上がってきた。
翌25日は天神祭だった。夜、耳を澄ますと花火を打ち上げる音が聞こえる。遥か遠くの街の空に、大輪の花が咲く。
7/26、いよいよ2回目の化学療法に入る。のべ3日間の点滴が始まる。リハビリも中止。動きのとれない数日を過ごす。一度経験しているので予測はつくが、副作用がひどくないことを祈る。
右眼が不自由なので本を読む気にもなれない。幸いというか、パリで始まったオリンピックの放映が退屈を紛らわしてくれる。
そして7/29。無事に退院の日を迎えた。次の3回目になる化学療法のための入院は8/8の予定だ。しばらく家で過ごすことになる。
今日は7/30。自宅の部屋で目が覚める。夜明けとともに鳴き始めた蝉の声が、眠りの世界から現実の世界へと引き戻す。それにしても、庭から聞こえてくる蝉の鳴き声はまさに嵐だ。なかばぼんやりしながら、布団の中で言葉を繰り回す。
家にいると、何かと動かねばならないことが多くなる。これもリハビリだと思って少しずつやっていこう。パソコンを起動したのも、ほぼひと月ぶりだ。暑さにも少しずつ馴染んで、元気な明日を引き寄せたい。
「俳句と歌」のnoteシリーズでありながら、入院生活・闘病生活の記録になってしまいました。長々とお読みいただき恐縮です。
ありがとうございました。
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