3月の俳句(2024)
弥生
妻の知り合いに「弥生ちゃん」という女性がいる。3月3日生まれだとか。単純な命名だけど、この名前が好きだ。今はもう70代半ばの元気なおばあさんだけど。
「弥生」と言うと、ついこの人のことを思い出してしまうが、この話はお終い。ここでは「弥生」という言葉について考えてみたい。
「弥」という漢字は「広く行きわたること」を表し、「いよいよ・ますます」という副詞の意味もある。「いや増す」「いや栄」の「いや」は、この「弥」である。一方「生」は「生う・生まれる・生じる」意だから、こちらはわかりやすい。
二つの漢字を合わせると、「弥生」は草木がいよいよ生い茂る「いや・おい」の月で、それが「やよい」となった。陰暦では3月は晩春だから、暦の上ではまだすこし先になる。
余談だが、「弥栄神社」という名称の神社が全国にある。牛頭天王・素盞嗚尊を祀る祇園信仰の神社で、「弥栄」の読みは「いやさか・やさか・やえ・やえい」などさまざまである。総本社は京都の八坂神社だ。
上巳の節句
3月3日は雛祭り。古代の中国では、3月最初の巳の日(上巳)に、祓禊と呼ばれる厄払いをする風習があった。それが日本に伝わって、健康を祈り厄払いを願う行事として定着する。雛人形を飾る「雛祭り」になったのは、江戸時代からだそうだ。
我が家では2月の節分が過ぎたころに、はやばやと雛人形を飾った。
男雛と女雛の位置、いつも迷う。この人形は「京雛」なので、向かって右に男雛を置くのが正しいのだろう。昔は左が上位とされ、たとえば左大臣は右大臣よりも上だった。この写真の場合、女雛が座っている側が「左」、男雛が座っている側が「右」にあたる。だから今回の配置は、西洋風の「レディファースト」になるのかな。
それにしてもこのお二人、いつも正面を向いて顔を合わせることがない。
春は三段階でやって来る
2月4日が「立春」だったが、これは暦の上でのことで、2月はまだ冬の寒さが居座っていた。しかし、降り注ぐ光に少しずつ春を感じるようになる。2月は「光の春」である。
「春は三段階でやって来る」という。
3月の半ばの頃のことだが、「光の春」を強く感じたことがあった。兵庫県伊丹市に昆陽池という池がある。奈良時代に行基が作ったという広大な溜め池で、関西屈指の渡り鳥の飛来地となっている。
この季節になると鳥の種類は減るが、顔から頸が茶褐色のヒドリガモがたくさんいた。ときどき「ピュー」と笛のような声で鳴く。地上で若草を啄んでいた群れが一斉に飛び立ったかと思うと池の水面に着水し、全員が同じ方向に泳ぎだした。水鳥の左右後方にさざ波が立ち、それぞれが重なりながら幾何学的な模様を描いてきらめいている。「ああ、春の光だ」と感じた。
春は五感で感じるものだろう。目で感じ、音で感じる。
山国では、雪がとけて、雪解け水の流れる音やウグイスの鳴き声が聞こえるようになる。これが「音の春」だ。私には「花粉症の春」でもあるが。
次にやって来るのが「気温の春」。地中で眠っていた虫たちも、大地の温もりを感じて顔を出す。
3月5日は「啓蟄」だった。各地の庭園や公園で松の木の「菰はずし」が行われたというニュースを見た。この日、大阪は雨で、最高気温は8度。まだまだ寒い。菰をはずされた木も寒かろう。
3月8日、やっと完成した確定申告の書類を持って、自転車で地元の税務署に行く。途中、通りすがりの家の庭先に、みごとな紅梅が咲いていた。ヒヨドリが枝につかまって、花に顔をつっこんでいた。花の蜜を吸っているのだろうか。「花喰い鳥」という言葉が浮かぶ。
9日朝、庭に出ていると、ほんのわずかに雪が舞った。天上から風で飛ばされてきたような降り方で、すぐに消えてしまった。
ニュースで、ちびまる子ちゃん役の声優、TARAKOさんが亡くなったと知る。1990年の放送開始から34年間も、主人公の小学生「まる子」の声を変わらず演じ続けてきた人だ。知り合いが亡くなったようで寂しいな。
10日、夜のウォーキング。空は晴れているけれど、月はない。調べてみると、この日は新月だった。暗い夜道を歩いていると、甘い香りがする。植え込みの白い花が浮かび上がる。沈丁花だ。「沈香」と「丁子」の二つの香りをその名に持つ。深呼吸して通り過ぎる。少しずつ春の風物が増えていく。
三寒四温
「気温の春」といえば、「三寒四温」は、今頃の時期をいう言葉だと思っていた。辞書で確かめると、「中国北部・朝鮮などで冬季に見られる現象」だと書かれていて驚いた。俳句でも冬の季語になっていた。しかし、世間ではどうも本来の意味で使われているとは思えない。
まだまだ寒い日が多いが、気温に波がある。3月の中頃、気温が20度に迫る暖かい日があった。
マンションの横に小さな家庭菜園がある。同じマンションに住む男性が野菜を育てている。この日ふと見ると、葉を切られた白い大根たちが、春の日差しを浴びて踊っていた。
京都駅の美術館で、フィンランドのガラス器「イッタラ展」を観たのもこの頃。展覧会のあと、東本願寺、梅小路公園などを歩いた。途中に宗德寺粟嶋堂という小さな寺院があった。ここには与謝野蕪村も娘の病気回復を祈願してお参りしたという。蕪村の句碑もあった。
寺伝によると、粟嶋堂は、応永年間に紀伊国の淡島から粟嶋明神を勧請してこの寺に祀られたのが始まりだという。人形供養のお寺で、境内に古い人形が保管されていた。夜に見ると、ちょっと怖いかもしれない。
春の風
俳句の季語になる「春風」は、暖かくのどかな春の日に肌に感じる程度の弱い風のことだという。芭蕉や蕪村の次の句はそんな春風だろう。
春風にふき出し笑う花もがな 芭蕉「続山の井」
春風や堤長うして家遠し 蕪村「安永六春興帖」
同じマンションの上階に老夫婦が住んでおられる。外出するとき、お婆さんは車椅子で、お爺さんがそれを押している姿を時々見かける。春風が吹く。向かい風ではなく背中を押す風ならいいんだが。
この老夫婦の姿を見かけた日、久しぶりにJR阪和線に乗って長居公園に行った。春の日差しが気持ちいい。この日、大阪の小学校では卒業式が行われ、授業のない子どもたちが大勢遊んでいた。青空に白木蓮が美しく咲いていた。
「春風」のイメージは、穏やかでやさしい。しかし、発達した低気圧のせいで、強い風が吹くこともある。春の嵐だ。
今年は20日が春分の日だった。昼と夜の時間がほぼ同じになるという。確かに日没が遅くなった。甲子園球場では春の選抜が始まっているが、この日は「春の嵐」が吹いた。
数日後、大相撲春場所で、新入幕の尊富士が優勝した。「荒れる春場所」の言葉通り、大荒れの快挙だった。
3月はライオンのごとく来たりて
3月23日の朝日新聞「天声人語」に、次のような一文があった。
英語では、「March comes in like a lion and goes out like a lamb.」という。「春の嵐」はまさにライオンだ。しかし、待てよ、と立ち止まる。これはイギリスだけのことなのか、日本にもあてはまるのか。3月の初めは「ライオンのごとく」で、終わりは「子羊のごとく」なのか。果たして「竜頭蛇尾」のようなものなのか。
気になるので調べると、ある気象予報士さんが次のようなことを書いていた。
だからこの格言は、「3月は、低気圧によって春の嵐がくればライオンのように荒れた天気になり、そのあと移動性高気圧がやってくれば子羊のように穏やかな天気になる」という意味だという。
3月30日、朝から気温がどんどん上昇する。近くの紫金山公園で孫とテニスをするが、すっかり汗をかいた。「春過ぎて夏来にけらし」ではないが、25度を超える夏日になったところもあったようだ。
公園の木々の間から、今年初めてのウグイスの声を聴く。まだ「ホーホケキョ」と続けて鳴くことができない。春がちょっと前に進んだ気がした。
この日、大阪で桜の開花宣言。こちらもまた一歩、春が歩みを進めた。