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2024年11月の俳句

霜月

今日で今年の11月も終わろうとしている。酷暑の夏も遠ざかり、東京では11月7日に木枯し1号が吹いたという。秋の始まりと終わりがよくわからなくなっている。
霜月は「霜降月」。いかにも寒そうだ。

「霜降」と書いて、今ふと思い出したことがある。数年前、京都の「かづらせい 寺町店 Gallery KAZURASEI」を訪れたことがあった。このお店を経営されているのが、六代目当主の霜降さんだった。優れたアンティークをたくさん収集しておられ、私の好きな獅子像も展示されていた。その後も案内を時々いただく。
ギャラリーの中は、小さな博物館のようにきらめいていた。

霜降や便りうれしき都づと



かづらせい 寺町店 Gallery KAZURASEI


ダンゴムシ

11月初旬の小春日和の朝、庭に出る小さな階段に腰を下ろして日差しを楽しむ。ネグンドカエデの葉が、時折枝から離れて地上に落ちてくる。
煉瓦敷きの上をダンゴムシが歩いている。まだ冬眠の時期には早いのか。ダンゴムシは、煉瓦と煉瓦の境目に沿って真っ直ぐに歩いている。次の煉瓦にたどりつくと少しためらう。左右を確認するような仕草をして、また真っ直ぐ歩いて行く。そして草むらに姿を消してしまった。

ダンゴムシが歩いている真っ直ぐに

山頭火なら、こんなふうに詠んだかもしれないな。

11月末。ダンゴムシを見かけなくなった。季節が進んでいる。


立冬

秋の風情を楽しみたいのに、暦は歩みを止めてはくれない。11月7日は、二十四節気の立冬だった。この日、富士山の初冠雪が確認された。

立冬や富士しめやかに雪化粧

この日から、9回目の治療が始まった。

点滴の遅きしづくの秋思かな




自由に外出することがままならないので、暖かい日は時々庭先に出る。この日は黄蝶が飛んできて、目の前の草木の周辺で乱舞する。この時期、庭には花も咲いていないので、止まる場所もないのか。やがて空高く姿を消してしまった。

小春日や花なき庭に黄蝶舞ふ

黄蝶は姿を消してしまったが、野鳥がしばしばやって来る。枝にとまって、仲間と呼び合っている。


秋天に赤い実青い実鳥よ来い

ひよどりのひいよと鳴きて林檎食ふ





ヒヨドリは鳴き方でわかる。嘴が黒くて羽毛は灰色である。「ヒーヨ、ヒーヨ」と甲高く鳴く。
かわいい小鳥が来ることもある。メジロはすぐにわかるが、名前の知らない鳥が多い。頭が黒と白っぽい淡い色で、翼は灰色、腹は茶褐色の小鳥がやって来た。すぐに調べると、ヤマガラらしい。

Wikipediaより


秋雨と涙

秋雨とは、秋に降る雨全般を指すのかと思ったら、気象では、夏から秋にかけて降る弱い長雨を指すらしい。
今年の秋は、そのような長雨は少なかった。しかし悲しい訃報がいくつも届いた。

11月19日、谷川俊太郎さんの死が報じられる、11/13没、92歳だった。すでに老齢であることはわかっていた。それでも精力的に詩を書き続けた人だ。
有名なのは、なんといっても「二十億光年の孤独」。同名の詩集が刊行されたのが1952年6月というから驚きだ。私はまだ2歳。この詩は教科書にも採用された。何度この詩を読んだことだろうか。

二十億光年の孤独  谷川俊太郎

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
 
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
 
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
 
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
 
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
 
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

ここがいちばん好き。
人類も火星人も、だれも孤独を望んでいない。お互い引き合って、共に生きようとしている。分断の世界はおかしいよね。

そして最後も同じくらい好き。

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

「くしゃみ」というおどけた表現に、ふと孤独の重さから解き放たれたような気がする。


二十億光年の孤独我もまた

秋雨の涙ほろりと傘のうち


11/27の朝日新聞に、詩人のアーサー・ビナード氏に谷川俊太郎さんが語った言葉が載っていた。

死ぬときにどんな詩が書けるか。できれば死んだ直後に詩が書きたい。


死んでも詩人であり続ける谷川俊太郎さん。息子の賢作さんは、父は「かがやく宇宙の微塵になったのではないか、そんな気がしている」と語っていた。

悲しいことは続く。
この翌日、火野正平さん死去の報があった。11/15没、75歳だった。自分と同年配の人の死は、心に重く響く。

夕方テレビのBSをつけると、正平さんの自転車番組がよく放映されていた。『にっぽん縦断 こころ旅』という番組名だったが、「とうちゃこ」という言葉が印象に残っている。14年間続いた長寿番組だったらしい。正平さんの温かい人柄がにじみ出る番組だった。

秋寒やとうちやこの声遠のきぬ


秋雨といえば、小4の孫の遠足がこの11月に予定されていたが、雨のために延期された。延期された日、また雨が降った。前夜から遠足の用意をしているのに、朝の雨は涙の雨になった。

ため息の重さ量るや秋の雨

当初は二度の延期はなしという話だったが、学校はさらに2日後の実施を決定。3度目の正直で、無事遠足が実施された。
よかった、よかった。


狛犬かわい

こんないいこともあった。
11月17日、地元公民館で3回目の狛犬講座。募集人員を上回る応募があったという。
今回は地元の産土神である伊射奈岐神社のお話をしたあと、お参りを兼ねてフィールドワークとなった。すぐ近くなのだが、スタッフの方が気遣って、車で送迎してくださった。

伊射奈岐神社の拝殿前には、保存状態のよい天保時代の浪速狛犬が安置されているが、珍しいのは参道途中にある「怪獣狛犬」だ。これと同じものは、ほかの神社にはないだろう。「怪獣」とはいうものの、よく見ると愛嬌があってかわいい。もとは、遼東半島金州城北門楼閣の屋根に設置された魔除けである。

受講した人の中に絵心のある方がいて、この「怪獣狛犬」を描いてくださった。狛犬愛が広がっている!

夢見る狛犬
伊射奈岐神社の怪獣狛犬

狛犬をかわいと撫でる小春かな


その翌日、たぶん油断があったのだろう。半年ぶりに電車に乗って、天満の天神さんにお参りした。商店街の賑わいが新鮮だった。薬のせいで頭が寒くなってきたので、帽子屋に立ち寄った。

秋寒や天神の町で帽子買ふ


翌日から身体がだるく、微熱が出る。やむなく家庭謹慎になる。外に出るのは、家の庭までだ。ついこの前まで「花なき庭」だったのに、いつの間にか石蕗つわぶきの花が咲いている。冬に向かって力強い黄色だ。



籠もり居る寂しき庭に石蕗つわ黄なり


家でおとなしくしていた週末は「勤労感謝の日」だった。現在、国民の祝日は16日あるが、その最後が勤労感謝の日になる。今年の場合は土曜日だったので、あまり「休み感」はなかったようだ。
そもそも、頑張って働いている人に感謝する日という意味の命名だろうが、子どもたちにとっては、ただの土曜日に過ぎないようだった。
起源を溯ってみると、この日は、天皇がその年の新穀などの収穫物を神々に供え、自らも食する「新嘗祭にいなめさい」という祭事が行われる日である。

この日、大阪道修町どしょうまちにある少彦名すくなひこな神社で「神農祭」が行われているのを、テレビのニュースで見た。
少彦名神社は、日本の医薬の神である少彦名命と、中国古代の伝説上の皇帝で、農耕や医薬の祖である神農を祀っていて、俗に「神農さん」と呼ばれている。
「大阪の祭りはえべっさんに始まり神農さんで終わる」と言われ、神農祭は「とめの祭」ともいう。
国民の祝日も大阪の祭りも、この日で最後。なんだか、もうすぐこの一年が終わってしまうような気がした。

神農の祭り賑はし感謝の日



ひと月を振り返ると、行動範囲が限られている我が身でも、けっこういろんなことがあるもんだと思ってしまう。
薬の副作用で、髪が抜けたり、手足が痺れたり、指先に色素が沈着したり、額にぶつぶつができたり、なんだかんだと身体に変化があるが、幸い頭と心は健常だ。

明日から師走。寒さ対策をしながら、明るく過ごそう。

霜月の晦日つごもりの湯の温かき





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