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髙島屋東別館「髙島屋史料館」~展覧会#43~
1928年(昭和3年)竣工の重要文化財建築
浪速区日本橋、堺筋に面して堂々と建つ古いビルディング。髙島屋東別館という。以前からずっと気になっていたが、今回初めてその3階にある「髙島屋資料館」を訪れた。
そもそも、ここから500mほど、徒歩で10分もかからないところに「大阪髙島屋」があるのに、なぜここに別館があるのだろうか。
調べてみると次のようなことがわかった。なんとこの建物は、もとは松坂屋大阪店として1928年に建てられたものだった。
高島屋史料館が所在する高島屋東別館は、昭和のはじめに松坂屋大阪店として建築され、地域と共に時を刻んできた歴史的な建築物です。設計は鈴木禎次(1870~1941)。建物全体はヨーロッパ歴史様式にアール・デコ調の装飾デザインが取り入れられ、特に堺筋に沿って続く11連アーチのアーケードや所どころに施されたアカンサスの葉をモチーフにしたテラコッタの装飾、内部のエレベーターや階段まわりの細やかな装飾など、建築的に価値のある見どころが随所に残っています。
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松坂屋大阪店は、1923年(大正12年)にこの地で開店する。当初は木造だったが、1928年(昭和3年)に第1期工事が完了し、その後1937年(昭和12年)の第3期工事で現在の姿が完成した。
しかし、1966年(昭和41年)に松坂屋が天満橋に移転したことによって、建物は一旦施工主の竹中工務店に譲渡された。その後髙島屋が賃借し、1969年(昭和44年)に髙島屋に譲渡された。そして翌1970年(昭和45年)に「髙島屋史料館」が開館する。
2021年(令和3年)には「歴史的価値の高いもの」と評価され、 国の重要文化財に指定される。
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髙島屋資料館〈アーカイヴス展示室〉
堺筋に沿って続く11連アーチのいちばん北側が、資料館への入口になる。入ってすぐ左手に、壁や柱に大理石が使われた豪華な内装を見ることができる。
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エレベーターで3階に上がる。
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3階が「髙島屋資料館」だ。
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受付を挟んで右側がアーカイヴス展示室、左側が企画展示室になっている。
髙島屋は創業以来200年の歴史があり、ここ資料館は5万点にのぼる資料を収蔵している。資料は百貨店に関するものや創業家文書が多いが、美術品も多数所蔵する。
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アーカイヴス展示室の奥にはエレベーターホールがあり、古いエレベーターが保存されている。
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髙島屋資料館〈企画展示室〉
◆企画展「万博と仏教」
企画展示室では、「万博と仏教ーオリエンタリズムか、それとも祈りか?」というテーマの企画展が開催されていた。
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私が今住んでいるのは大阪府吹田市で、1970年に開催された万国博覧会の会場(現在の万博記念公園)はすぐ近くにある。開催当時は大学生だったが、何度か訪れた。興味があったのはやはり外国のパビリオンで、日本館の記憶はない。
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万国博覧会とは、世界の国々が自国をアピールする場である。1970年の日本万博のテーマは「人類の進歩と調和」だったが、高度経済成長期の日本は、経済大国の現在と豊かな未来世界をアピールしたのだろう。そこに「仏教」がどのように関わっていたのだろうか。
今回の企画展「万博と仏教」のコンセプトは、次のようなものだった。
明治政府として初めて公式参加したウィーン万博(1873年)以来、仏教イメージは日本の展示において戦略的に利用されてきた。今回の企画展「万博と仏教」では、近代における仏教のイメージの受容とその変遷について考察する。
1873年のウィーン万博では、「鎌倉大仏頭部の張子」や「五重塔の模型」が展示され、1893年のシカゴ万博では、日本館自体が「平等院鳳凰堂外観」を模したものだった。このような展示は、仏教イメージが、西洋からのオリエンタリズムのまなざしを内面化したものとして用いられたと考えられる。
これが変化するのが、1970年の大阪万博だった。アジア初の万国博覧会として、欧米の人々のみならず、仏教を信仰するアジアの人々も大勢訪れた。仏教関係の展示は、それまでの西洋目線のオリエンタリズムから、信仰の象徴、祈りの対象へと変貌した。その意味で、大阪万博は画期的な万博だったといえる。
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展示室の中央には、万博に出展されたレプリカの仏像が置かれ、周囲に万博の変遷がわかる資料が展示されている。アジアの国のパビリオンで展示されたもので、そのまま日本に残された作品もある。
これまで、万博と仏教とを結びつけて考えたことがなかったが、アジアの国が自国らしい文化や伝統をアピールしようとすると、仏教は避けて通れないだろう。その意味で、この展覧会の着眼点はおもしろい。
ただ、会場が狭いこともあるが、壁際に小さなパネルが並べられた展示が中心だったのが残念だった。
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最後に、言い忘れていましたが、この資料館は入場料が無料です。
次回は、建物の装飾などを、もっと注意して見たいですね。
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