犬が苦手な犬飼いの心境の変化

犬が苦手、もとい犬の事を怖いと思っている人間が犬を飼うとどうなるか?
子犬を迎えてから半年が経過しようとしている今の心境を記録しておく。

結論からいうと、犬全般に対する苦手意識は随分と軽減したように思う。

かつては外飼いの犬がいる家を通り過ぎる時や、散歩中の犬とすれ違うだけでも毎回緊張したものだけど、さすがに今ではそのような事はなくなった。

むしろ今ではすれ違う全ての犬の様子を観察してみたくなるくらいになった。他所の犬の挙動はとても興味深い。
かといって、他所の犬を触れるかと言えば全然そんなことはなく、未だに自分の子犬以外の犬には触れたことはない。
たとえ相手が警戒心が無さそうな犬であったとしても、そこはどうしても躊躇してしまう。

子犬との生活にも随分慣れていたと思っていた頃、子犬がいつものように尻尾を振りながら近づいてきたため撫でていると、突然攻撃的に吠えたと思った瞬間、撫でていた手のひらに勢いよく咬みついてきた事がある。
電光石火の如くもの凄いスピードで攻撃してきたため、さすがにこれは流血沙汰かな…と思いつつ咬まれた場所を確認してみたところ、歯形すら残っていない全くの無傷だった。

あの勢いにも関わらず、力加減を出来る子犬の身体能力の高さと冷静さに驚くと同時に、無傷だったとは言え、やはり「犬=突然噛みついてくる動物」というかつてのトラウマも蘇ってくる。

フードガードも相変わらずで。
先日、給餌のタイミングでサークルの近くでうたた寝をしていた次女の足元へと飛び掛かり、激しく吠えたと思った次の瞬間、サークルの隙間から次女の足の指に咬みついた。
これも幸い大した怪我ではなかったが(シャーペンの先で刺したくらいの小さな赤い斑点ができたくらい)、このような出来事がたびたび起こるたび、やはり室内でフリーにするのは難しいと感じるし、犬に対して心の底から気を許すということは未だ出来ないでいる。

子犬と穏やかな時間を過ごせているとき、つい気を許しそうになることを心のどこかで常に制御していた。
それは先に述べた豹変する子犬の態度に対しての防御行為であり、つまりはがっかりするのが怖かったのだ。
期待しなければがっかりすることもない、そのようなスタンスで子犬と接してきた。
反抗期の娘たちに対して常日頃から可愛いと口に出して言っている親馬鹿な私であるが、子犬に対して可愛いと言葉に出したことは一度もない。

朝晩の散歩と給餌、ちょっとした触れ合いもなど、それらは言わば全て「作業」であり、家族の調和のために仕事や家事の一環としてずっと義務感だけでやっていると公言していたし、実際にそう思っていた。
そして、これから先も同じようにで淡々と作業をこなしていくのだろうと思っていた。

ところが、である。
ここ最近になり、頑なに可愛いと認めてこなかった子犬の事を認めてしまう瞬間が度々訪れるようになってきた。

頭を撫でようと手を近づけると、手のひらの形に添うように耳をペタンと寝かせたり、私がリビングから出ていくと他の家族がいるにも関わらずクンクンと寂し気に鳴いたり(リビングに戻ると尻尾を振って待っている)、音が鳴るボールをヨガの体操の如く背中でプレスして鳴らしたり、帰宅時のウレションが度を越して、溜まりに溜まった尿を全漏らししたりと(立ちションするような格好で1分間くらいしている)、やれやれと思いつつもつい笑ってしまうような瞬間に、不覚にも愛おしさがこみ上げてくるようになった。

完璧な人間が存在しない様に、完璧は犬はきっと存在しないのだろう(完璧の定義はおいといて)。
いや、もしかすると存在するのかもしれないが、完璧だから愛せるかと言えば、それはまた別問題ということは容易に想像がつく。
むしろ、欠点こそがその人(犬)の魅力を引き立てるというのはひとつの真理なのだろう。

その一方で、フードガードさえなければなあ、というのが本音でありつつも、無理に矯正するようなトレーニングの必要性を感じていないのも本音だったりする。




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